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INTERVIEW

志賀育恵Shiga Ikue

東京シティ・バレエ団プリンシパル

「怪我もひとつの出合い。怪我をした人の痛みが分かる」

もしバレリーナでなかったとしても、ミュージカルの舞台など、やはり見せる側の人間になっていたと思うと語る東京シティ・バレエ団プリンシパルの志賀育恵。見せる側といえば、先日ある美容院のヘアーショウに招かれ、ランウェイの大トリを務める「今まで見たことのない景色」を楽しんだという。

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 2月の強い寒風の中での撮影となってしまったが、「男っぽく撮ってもらおうかな」とユーモアを交えつつ、明るいオーラを振りまき笑顔で撮影に挑んでくれた。1998年に東京シティ・バレエ団に入団してから瞬く間に主役に抜擢されてから約20年、トッププリマの座を守り続けるその素顔に迫る。

受賞したのに断った初のバレリーナ!?

 体力作りのために母親が娘に習わせたかった選択肢の中にフィギアスケート、シンクロナイズドスイミング、体操、バレエがあった。身体を動かすのが好きだったので迷わずバレエを選択。小学生から毎日4時間のバレエレッスンを受けていたというが、この頃からバレリーナを目指していたのだろうか?
「コンクール出場を意識し始めたのが小学高学年からで、レベルの高いコンクールに出場できるようになったのが中学1年生。プロになろうと思ったのは高校生の頃からでしょうか。バレエができる学校に行くという気持ちは最初からありました。
  その頃『くるみ割り人形』の舞台が控えていて、高校受験の準備をしている時間がない。なので今の学力で行けるところという選択肢にしました。コンクールが流行り始めた時期で両親も応援してくれていましたし、逆に普通の高校に行くのが珍しいぐらい周りでも皆バレエ学校に進学する時代でした。
 海外で踊るチャンスも訪れましたが、私の先生に習ったほうが上手くなれると思いました。親にも相談しないで『私はここには行かない』と即決しました。日本の先生は、受かったのに行かないなんてと衝撃的だったらしいです(笑)」

 高校に通いながらバレエレッスンを続けるが、海外で学ぶ機会が新たに訪れる。
「ずっと日本でバレエを学んできたので、海外を見てみたい気持ちはありました」
  2007年から文化庁在外研修員としてオーストラリア・バレエ団に1年間研修に行くことになる。

人生を変えた出会い

 オーストラリア・バレエ団の滞在中はどうだったのだろうか。
「すごく楽しかった!人間が良い。皆すごく大らかでモチベーション、人との接し方、考え方、すべてが変わりました。東京シティ・バレエ団では、入団後にすぐに主役を躍らせてもらっていたので、毎日新鮮で楽しかったのですが、先輩から『コール・ドを踊っている先輩たちに泥を塗るのか』と直接言われたこともありましたし、先輩たちをさし置いて踊らせてもらっているという思いもあって、ずっと精神的に張りつめていたところがあったと思います」
 
 そういった厳しさや期待を一身に背負い、オーストラリアでターニングポイントが訪れる。
「一番変わったことといえば、しっかり発言するようになリました。それまでは言われるままに対応していましたが、どうして?なぜ?と疑問や自分の考えを伝えるようになりましたね」
 『なんとかなるさ』という大らかさも加わったという。
「バレエ団のメンバーが本当にいい人たちで、『育恵の言いたいことは待ってあげるから言いなさい』と、どこが不安なのかとかちゃんと聞いてくれました」
 日本語でも話しかけてしまうという物怖じしない明るい性格が、団員たちとすぐ打ち解けられたことに繋がった。充実した研修期間を過ごし、再び活躍の拠点を日本に移す。

 東京シティ・バレエ団に戻り、自身でどんな変化を感じたのだろうか。
「以前よりもっとフランクになりました。周囲を”拾う”ようになりましたね。オーストラリア・バレエ団では『日本から来た子ね』ってプリンシパルやソリストの人が話しかけてくれる。そういう心遣いや人間関係がすごく上手で、カンパニーの雰囲気自体がすごく良かった。その経験が日本に帰ってきたときに自然に出ました」

 しかし、同じ仲間という連帯感を育むことでさらなる飛躍を遂げている最中、大きな怪我に見舞われる。はじめて経験する舞台降板。
「30代に入って捻挫をして骨折もするし、こんな痛い思いをして踊らなきゃいけないのか。立て続けに怪我をしたということは、『もうこれで終わりにすれば?』と言われているのかと思いました」

 しかしその辛い経験は、さらに成長を遂げるきっかけとなった。
「怪我もひとつの出合い。怪我をした人の痛みが分かる。怪我をした人へのヘルプの仕方が解る。怪我をして良かったと思います。 若い頃は運動神経で踊っていた。でも歳を重ねるとダメージも強く残り、復帰に時間がかかる。それからは怪我をしない身体作り、自己管理に気を配るようになりました」

最後の白鳥で奇跡的体験

 スキル以上に精神面にも磨きがかかった充実期にある中、2016年の『白鳥の湖』を最後に「白の全幕を辞める」と宣言した。2006年に『白鳥の湖』オデット/オディール役でデビューし、その10年後の舞台で下した決断。
「自分が重ねてきた時代の中で、体力的にもここで最後にした方がいいかなと思いました。バレエ団のセンターでずっと踊っていたプライドです。振付を変えれば踊ることもできるけど、そういう踊り方はしたくない。私の限界はここです。バレエの指導もしているので、自分の中では順位が変わっただけです。自分で踊るよりも育てるほうがいいんじゃないかな」
 後輩の育成にも力を注いでいきたい熱意を持っている。
「私の踊っている姿を見てほしいですし、自分の知っている限りのことを伝えたい」
 
 その最後と決めた舞台で奇跡的な体験をする。
「すごく楽しかった!バレエのすごさを改めて感じた舞台でした。舞台上でオーケストラピットから音符が出て来るのが見えたんです!あの一瞬は初めての経験で自分でも驚きましたが、神様からのプレゼントだと思いました」
 そんな素晴らしい瞬間を味わえて、白鳥の引退を撤回したい気持ちにはならないのだろうか?
 「決断に数ヶ月かかりましたが、自分でピリオドをつけられたのが嬉しい」と決意は固い。 

 しかし、白鳥はひとつの演目であり、ダンサー人生はまだまだ続く。
 来る3月30、31日に、ウヴェ・ショルツ振付の『Octet』(オクテット)がはじめて日本で上演される。第1楽章から4楽章までの構成で、志賀は30日の第2楽章にソロで出演。同バレエ団のショルツ作品といえば、『ベートーヴェン 交響曲第7番』が人気のレパートリー。息もつかせぬスピード感と多彩なフォーメーションがバレエファンを唸らせる。
「第1楽章は『ベートーヴェン~』より動きが早いし難しい。3楽章はちょっとジョークが入っています。2楽章はエモーショナル。大人の恋っていう感じでしょうか。明確なストーリーはないのですが、触れ合ったり、触れてみたりという振付もあり、他の楽章と違ってセンシュアルな雰囲気です。2週間ほど前に振り写しが終わったので、ここからブラッシュアップしていきます!楽しみにしていてくださいね」

C) Takao Sakai

C) Takao Sakai

 

 

==プロフィール==

コヌマバレエアートにてバレエを始める。1989年田中千賀子バレエ団入団。98年東京シティ・バレエ団入団。『シンデレラ』『コッペリア』『白鳥の湖』『ジゼル』『くるみ割り人形』『真夏の夜の夢』『ロミオとジュリエット』『ベートーヴェン交響曲第7番』『カルメン』に主演。05年日本バレエフェスティバル出演。06年第3回中部日本全国舞踊コンクールジュニア部門第1位。第53回東京新聞主催全国舞踊コンクールジュニア部門第2位。第38回舞踊批評家協会新人賞受賞。11年のドイツ・ベルリンでの『Ballet Helps Japan』、12年カザフスタン共和国での『World Ballet Stars Gala in Kazakhstan』に出演。

公演情報

TOKYO CITY BALLET LIVE 2017『パキータ』『譜と風景』『Octet』
2017年3/30(木)、31(金) ティアラこうとう大ホール
http://www.tokyocityballet.org/schedule/schedule_000242.html