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INTERVIEW

菅野英男Sugano Hideo

新国立劇場バレエ団プリンシパル

「目の前にあることをひとつ一つ取り組みたい」

「バレエやってみる?」と5歳のころ親に聞かれ、よく分からないまま「うん」と頷いてしまい、バレエダンサーとしての人生を切り開くことになった、新国立劇場バレエ団プリンシパルの菅野英男。山本禮子バレエ団付属研究所、モスクワ国立アカデミーで研鑽を積み、インペリアル・ロシアバレエ、キエフ国立バレエに所属。帰国後の2010年に新国立劇場バレエ団にソリストとして入団し、2013年にプリンシパルに昇格、現在はバレエマスターも兼任し、さらに表現力にも深みが増している。

 2018年2月9日から再演される同バレエ団の『ホフマン物語』やロシア留学時代のことを語ってくれた。

充実した留学時代

  1年間の契約で19歳のときモスクワ国立バレエアカデミーに初の海外留学を経験。現地ロシア人と海外からの生徒たちの中に入った。留学経験のある人からは、町全体が薄暗くてすぐ帰りたくなるぐらい不安だったと聞いていたという。
「僕は、別に平気じゃない?という印象でした。初日は緊張したのですが、僕はどこに行っても平気なタイプかもしれないですね。アカデミーで習っているロシア語で話しかけてみたり、クラスにはすんなり打ち解けました」

 一方で、意外な一面も垣間見たという。
「ロシア人の子たちはものすごい情熱を持って取り組んでいるんだろうなと覚悟していたのですが、『今日はレッスンさぼっちゃおうかな』って子もいたりして、バレエを仕事と割り切っている生徒が多いことが衝撃的でした」

 それには日本と異なる教育システムがあるようだ。
「もちろんみんな選ばれて入学しているのですが、普通の学校の一つとして捉えられていてバレエダンサーを目指している人ばかりではなく、一般の企業に就職する生徒も結構いました」

 その中で特に印象的だったと語る生徒は、世界的なバレエダンサーとして現在も活躍している。
「同じアカデミーで習っていた生徒で、ポリーナ・セミオノワ、マリア・コチェトコワは注意されたことを吸収するスピードが素晴らしく、要領を得て体現するのがとにかく早かったですね」

 そもそもよく分からないまま始めてしまったバレエのはずなのに、途中で辞めたい気持ちは起こらなかったのだろうか?
「小学校を卒業したら辞めるという約束のもとに、はじめたバレエだったんです。親はスポーツをするのに身体の柔軟性が身に付くという一環として勧めただけであって、親も僕も将来は一般の企業に就職するものと思っていました」

 転機をもたらした出来事

 そんなとき、小学校の担任の先生からある話が舞い込む。
「先生がバレエ好きだったこともあって、小学校の謝恩会でソロで踊ってくれないかという依頼を受けて山本禮子バレエ団付属研究所に通うことになりました」
 卒業時には辞めると決まっていたのに、研究所に通うとは小学生高学年ながら責任感が強い。
「そこまではちゃんとやらなきゃ。やると約束したから頑張ろうという気持ちでした」

 そして同研究所に通っている男の子のレベルの高さに驚かされる。
「みんなに全然ついていけない。プロを目指す空気の中にいきなり入って、バレエがこんなに厳しいもので、プロを目指す子たちはこんな感じなのか。別世界だと思いました。自主レッスンの時間があるのですが、僕はみんなのレッスンを片隅でひざを抱えて見ていました」

 その数か月後に体育館で行われた謝恩会で、『パリの炎』のヴァリエーションを踊る。「踊ったあとは意外にあっさりした感情でした。同級生の前でタイツ姿を見せるのは恥ずかしい気持ちが大きかったのですが、大人に褒められるのは嬉しかった記憶があります」

 謝恩会を最後に辞めるはずだったのでは?
「バレエのスキルがちょっとずつできるようになっていく。そうするとだんだん面白くなってくる。両親も謝恩会が終わったからいつでも辞めていいよというスタンスで、発表会のお手伝いするぐらいであればと考えていたらしいのですが、舞台を観に行ったり、映像を観たりするうちに興味が沸いてきました。僕もあれを踊ってみたいと思うようになりました」

 山本禮子バレエ団の生徒たちの影響も大きかった。
「周りの子たちを見て意識が変わってきました。あの子はこうやって踊るんだと自分との差を観察するようになりました。そうすると、はじめて自主レッスンができるようになってきたんですよね」

 バレエダンサーに染まっていく前には他の夢があった。
「子どものころは野球選手になりたかった。ポジションはピッチャーでした。中学生以降はバレーボール、バスケットボールなど色々挑戦していましたね。身体を動かすことが好きです」 

 さらに開かれた扉

 自身のことを語ると非常に謙虚である。
「バレエダンサーになれたのは運が良かっただけだと思います。特にテクニックがすごいわけでもない、スタイルがいいわけでもない。そんな僕がここまでこられたのは本当に恵まれている。ダンサーのキャリアの中で深く考え込んだとか すごく苦労した記憶がないんですよね。鈍感なのかもしれないです(笑)」

 とはいえ、新国立劇場バレエ団のバレエマスターとしての役割も期待されている。
「数組のプリンシパルたちのレッスンをみて、そんな風に身体を使ったら楽に踊れるのかな、そういう表現力もあるんだなとか学ぶところが多いです。それまでは自分のイメージを壊したくなかったので、他のダンサーのレッスンをあまり見ることはなかったのですが、こうあるべきという範疇を出られたのかもしれません。自分の殻を破れて引き出しが増えた感覚があります。バレエマスターとしても教えやすくなったと思います」

 2015年初演の『ホフマン物語』の主演で高評価を得、2018年2月の再演にも主演に選抜。
 本作の背景は、じつはバレエ作品として誕生したのではなく、ジャック・オッフェンバック作曲のオペラをバレエ作品として創作し直した経緯がある。詩人のホフマンが数奇な女性遍歴を語っている間に、現在の恋人にも振られてしまうという悲哀を描いた物語。
「観てくださったお客様から、『感動した。すべてが上手くいかなくて、心が折れてゆく姿が見ているだけで可哀想だった』と言って頂けたのが嬉しかった。だからこそ、2回目を踊るのが少し怖いんですけどね(笑)。
 自分では何が出来ていたのか分からないです。ただ、自分が持っている気持ちを全部ステージ上で出して来ようと思いました。ホフマンを演じるというよりは、ひとりの人間として、こういう場面ではどう感じるのかを出し切ろうと挑みました。
 初演直後は燃え尽きていました。なにも考えられなくてただ舞台袖に座っていて、帰りの支度の着替えもノロノロしている感じで半ば放心状態だったと思います」
 大原芸術監督からは本番後に「良かったよ」と言葉をかけてもらったそうだが、「本当にそうだったらいいんですけど」と謙遜する。

 「再演の舞台では、もっと感情表現を磨きたい。あらすじを知っているからホフマンの感情が分かる、のではなく、僕の動きを見ているだけで伝わるようにしたい。ホフマンは騙されているんだなという状況だけでなく、2幕のアントニアに対する恋心とか、何をやっても上手くいかない葛藤。
 そういう部分の哀しみを、歩いている場面の空気感から自然に見せるようになりたいですね」

 これからの目標についても語ってもらおう。
「先のことを考えるのが苦手なんですけど(笑)、若手ダンサーのきっかけとなる存在になりたいです。ダンサーとバレエマスターとしての両方に関わっているので、ダンサーには少しでもいい方向に変わってほしい。バレエ団をもっと良くしたい気持ちが強くなってきています。
 観に来てくださったお客様から、ダンサーたちの踊り方が変わりましたね、成長しましたねと言われると、自分のおかげではないかもしれませんが(笑)、すごく嬉しいですし、もっと向上しないといけないという僕自身の刺激になります。
 目の前にあることをひとつ一つ取り組みたいと思っています」

 

C)RYO OHWADA

C)RYO OHWADA

 

==プロフィール==

山本禮子バレエ団付属研究所、モスクワ国立アカデミーで研鑽を積みインペリアル・ロシアバレエ、キエフ国立バレエに所属。2010年新国立劇場バレエ団にソリストとして入団。『ジゼル』『ドン・キホーテ』『白鳥の湖』『パゴダの王子』などで主役を踊る。13年プリンシパルに昇格。1999年埼玉県全国舞踊コンクール・シニアの部第3位、01年NBA全国バレエコンクール・シニアの部第2位、03年ルクセンブルク国際バレエコンクール・パ・ド・ドゥ部門第3位、04年ペルミ国際バレエコンクール第2位、08年ソチ国際バレエコンクールベストパートーナー賞。

公演情報

新国立劇場バレエ団『ホフマン物語』
2018年2/9(金)~11(日・祝)新国立劇場オペラパレス
※菅野は2月10日(土)の出演
http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/18hoffmann/