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INTERVIEW

倉永美沙Misa Kuranaga

ボストン・バレエ団プリンシパル

「私の人生のテーマは自由」

2003年からボストン・バレエ団に所属し、2009年にプリンシパルに昇格。2017年には、アトリエヨシノ20周年記念公演「ドン・キホーテ」全幕で主演のキトリを、また、<横浜バレエフェスティバル2017>で「ジゼル」のパドドゥ、コンテンポラリー作品を踊るなど、2度に渡る来日公演で、日本のファンを急激に増やしつつある。

 米国を拠点に活躍する倉永美沙が、帰国中のハードスケジュールの合間に、幼年期からこれまでのバレエライフを熱く語ってくれた。

問題児だった女の子

 じつは、幼稚園の頃から有名な問題児だったらしい。
「先生たちから要注意人物として、一番最初に名前を覚えられましたね(笑)。私としては、なんでここにおとなしく座ってなきゃいけないのか?というのが疑問なんです。それでこっそり教室を抜け出して、近くの広場でひとりで走り回っていたりしていました」
 先生たちの目をくらまし、常に行方不明になっていたというが、それは幼稚園のときからあった。。
「たとえば、家族でディズニーランドに遊びに行きますよね。そこでも消えるんです(笑)。何かに興味を持つとそこに一人で行ってしまうみたいなんですよね。それで係りの人に捕まって迷子のアナウンスをされるんですけど、そこでわざと違う名前を言うんです。たぶん見つかりたくなかったんでしょうね」

 その歳の頃は4,5歳。その年齢で『偽名』を使う子供がいることに驚きだ。なんという自立心の高さ!大物ぶり!
「そんなこともあり、あり余っているエネルギーを母親がどうにかしようとバレエ教室に通わせてくれることになったんですが、これもすんなりとはいかなかったんです」 
 そんな破天荒な女の子が、どのようにしてバレエに出合ったんだろうか。
「もともと身体を動かすのが好きな私は、幼稚園のお遊戯のときにも率先して踊るような子だったんですが、同じクラスでバレエを習っている女の子たちがいて、『踊りはわたしたちの方が知ってるもんね』と、先頭を陣取られてしまったのが、悔しかったんですよね。
 それで母親にお願いしたら、なぜかバレエはNGで『新体操ならいいわよ』と。でも途中で英語教室に押し込まれそうになり、私はバレエがやりたいの!と何度も粘った結果、一か月ぐらいならと、やっと許可をもらったんです」

 そこまでしてなぜバレエを習いたかったのだろう?
「きっかけは競争心からですが、それまでテレビや絵でしかバレエを見たことがなかったのに、どうしてそんなに惹かれたのか自分でも不思議です。自分でやりたいと思ったことは通さないと気が済まない性格なんだと思います。大人になって少しマイルドになりましたけど」

 やっと願いが叶ったときの感想は?
「これはいける!と思いました。その前にピアノを習っていたんですが、苦痛で仕方なかったんです。右手は弾けるけど、左手がどうしても混乱してしまう」
 ダメだと思ってからの決断は早かった。

「私は才能がない。合ってないからやめる。習わせてくださいって言ったけど、ごめんなさいと、母に謝りました。そのあとにバレエをはじめてみたら、頭も身体も理解できる!そういう実感があったんです。ピアノで失敗したからこそ、すぐ分かったんだと思います」

 そこからはバレエまっしぐらな生活に突入となる。
 「習い始めた直後から、先生がプロを養成するクラスを創設してくれたんです。7歳半ぐらいだったんですが、週に5日間お稽古に通う生活がはじまりました。10代までずっとレッスンの日々でしたね」

 7歳からすでにバレリーナを目指したという決断力・行動力に優れた早熟な女の子は、反対だった母親の理解も得られるようになる。
「バレエ教室に通い始めて、コンクールに入賞したり結果が出てきたので
母親は私の決断を尊重してくれるようになって、バレエの先生とあなたに任せるわと言ってくれたんです。
 私の人生のテーマは自由。自由にさせてもらうことが人間として一番の幸せだと思います。その自由を幼い頃から与えてくれた親に感謝しています」

目覚めた瞬間

 そして、17歳でローザンヌ・コンクールで受賞し、サンフランシスコ・バレエ団の研修生となる。
「じつは第一希望のカンパニーではなかったのですが、いまとなってはそのバレエ団に行くべき運命だったと感じています。私が不得意だった脚のスキルやテクニックを徹底的に叩き込まれたので、そのバレエ団とは出合うべくして出合ったんだなと思います」

 学びはじめてからすぐ先生からも才能を見いだされ、コンクールでも入賞を重ねてきたが、プロの厳しさは想像以上だ。
「そのバレエ団での継続契約はもらえなかったのですが、日本に戻る気はありませんでした。日本に戻るならバレエを辞めよう。それで翌日ニューヨークにいってオーディションをいくつか受けましたが全滅でした」

 追い打ちをかけるように、スクール・オブ・アメリカンバレエの講師から「あなたはアメリカのバレエ団に入れないと思うから、日本の小さなバレエ団で踊りなさい」と辛辣な言葉をかけられる。「私はそう思いません。ここで踊りたいんですと即答しました」

 ミストレスの厳しい言葉が、逆にバレエ人生を続けるバネにもなり、研修生として学校に残る選択をするが、厳しい条件でもなおバレエを続ける原動力はどこにあるのだろう。

「人生は一度しかないので、どうエンジョイして生きていけるか。私にはバレエしかないので、これに賭けるしかない。楽(らく)をするのとは違って、楽しむための努力、人生をより良くしていくための努力。人生をエンジョイしたいです」

 どんなときでも全力投球を思わせるが、意外にも、そうではなかった時期があるという。
「ボストン・バレエ団のプリンシパルになって、じつは少しダレていた時期があったんです。毎日のクラスレッスンのとき、男性のディレクターから『あなたはここに寝に来ているつもり?』と注意される日が続くようになりました。それでも私にはその声がまったく響かなかった」

 そんな頃、元NYC(ニューヨーク・シティ・バレエ)プリンシパルのマーガレット・トレイシーが教えに来ていて、倉永にそっと近寄り静かに語ってくれたという。

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「私も器用だったし、あなたのように適当にレッスンを受けていた時期があったわ。でもあるときバレエミストレスから、30代後半の同年代のプリンシパルを指さして、『あのふたりの何が違うと思う?』って私に聞いてきたの。

 ひとりは自分の美貌とスタイルに頼ってあまりレッスンをしない。もうひとりは毎日丹念にレッスンをする。どちらがダンサーとして長生きできると思う? どうしたいかはあなたの選択だけど」

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「そのとき鳥肌がたちました。それから私は変わったんです。私のためを思って忠告してくれた彼女に心から感謝しています。あのとき言ってくれてありがとうと、今でも会うたびにお礼を言っています。
 それから踊りが変わりました。もちろんある程度の年月はかかりましたが、テクニックがしまってきて、自分で踊っていて分かります。
 舞台映像を見ると、ビフォー&アフターでまったく違う踊りになっています。アフターは身体が断捨離されていて、濁っていない感じ。澄んでいる感覚というんでしょうか」

いつでも辞める覚悟

 まさに今、フィジカル的にも精神的にも充実したダンスライフを送っているが、自身への眼差しは非常に厳しい。
「常に、できないんだったら辞めた方がいいという覚悟を持っています。
あと10年踊れるとは思っていません。ダンサーとして私の最後の5年を観たいと思う人がいるかどうか。ちゃんと踊れない自分をお見せできない、綺麗でない自分はお見せしたくないので、その辺りを考え、見きわめなくてはならないと思いながら日々を送っています」
 
 厳しい覚悟の上で日々鍛錬を重ねるプリマが、認められるのは当然といえる。2014年のボストン・バレエ団『白鳥の湖』で主演に抜擢され、これまで以上の忘れられない舞台となった。
「バレリーナなら絶対に踊ってみたい作品ですよね。2カ月間みっちりコーチングしてもらったんですが、日々闘うようなリハーサルでした。
6日間も主演するという、かなりチャレンジングな課題を突き付けられましたが、ひとりのバレリーナとして、自分の大きな壁をひとつ乗り越えられたという実感がありました」

 その思い入れの強い『白鳥の湖』で、ウラジーミル・マラーホフ演出/振付版に主演する。アトリエヨシノ主催の9月9日一日限りの特別公演だ。4日間の濃密な日々を経験したというが、どのようなリハーサルだったのだろう?
「マラーホフさんは、女性と男性両方の見本を見せてくれるんです!
それぞれのパートを実演してくれて、白鳥ならオデットとオディールはもちろん、目の使い方、腕の使い方、ひとつ一つすべて伝授してくれました」
 
 ジークフリート王子には、2017年のアトリエヨシノ主催公演「ドン・キホーテ」で初共演した芳賀望。
「芳賀さんとは、最初に組んだときからパートナリングが上手くいきました。同じ芸術監督ミッコニッシネンから学んだ経験があるからかもしれません」

 芳賀がカナダ・アルバータ―に留学していたときと、現在ボストン・バレエ団の芸術監督が同じということも面白い共通点だ。

「芳賀さんはバレエに取り組む姿勢がとても純粋で、相手を試すとかそういう駆け引きをする人ではまったくなく、真摯に作品に打ち込めむダンサーなので、とてもすんなりリハーサルが進みました」
 非常に信頼しているダンスパートナーと語る、ふたりのパートナリングが楽しみだ。あと2か月足らずとなった全幕公演が待ち遠しい。

「日本で踊らせて頂く機会はとても感謝しています。ボストンに帰ってからも、マラーホフさんから教わったことをすべて身体に叩き込んで挑みますので、期待していてください」

==プロフィール==

地主薫エコール・ド・バレエでバレエを始め、その後スクール・オブ・アメリカン・バレエに留学。第9回モスクワ国際バレエコンクール ジュニアの部金賞受賞、2006年ジャクソン国際バレエコンクール シニアの部にて金賞を受賞。2001年ローザンヌ国際バレエコンクールでプロ研修賞を受賞、サンフランシスコ・バレエに研修生として入団。2003年ボストン・バレエに入団。2007年にソリストに、2009年にプリンシパルに昇格。1993年第3回中部日本全国バレエコンクール第1位受賞、1997年第54回東京新聞主催全国舞踏コンクール第1位受賞、東京都知事賞受賞 文部大臣賞受賞。第9回モスクワ国際バレエコンクール金賞受賞、2006年ジャクソン国際バレエコンクールゴールドメダル受賞など多数受賞。

公演情報

アトリエヨシノ主催 マラーホフ版「白鳥の湖」
2018年9月9日 (日)めぐろパーシモンホール 大ホール
http://www.atelier-yoshino.com/