ページの先頭です。

INTERVIEW

浅田良和Asada Yoshikazu

バレエダンサー/シンフォニーバレエスタジオ主催

「大きな野望があります」

英国と欧州の海外留学を得て日本有数のバレエ団でソリストとして活躍後、フリーとして日本全国を駆け巡るバレエダンサー、浅田良和。主催するシンフォニーバレエ両国スタジオ設立1周年記念を迎えた綺麗なフロアーで、趣味のピアノ演奏を聴かせてくれた特権に預かる。てっきり楽譜を暗記しているのかと思えば、即興だったことにも驚かされるが、ほぼ独学という。ピアノのほかにもアコースティックギターとエレキ、ベースも弾き、作曲もするという多才なダンサーの素顔と魅力に迫る。

 小学校2年生ぐらいからバレエを始めたというが、母親がジャズピアノを弾いていたこともあり、最初に触れたのは楽器の方が早かった。

劇的なクライマックス

 「ピアノを習ったのは1年間だけです。母は、自分が教えるのは甘くなると思ったのか、知り合いのピアノの先生のところに5、6歳の頃に連れていかれました。その教室ではミュージカルも教えていて、母はジャズダンスを僕に習わせようと思っていたみたいです。でも『踊りの基本はバレエよ』と教わったらしく、近くのバレエ教室に入ることになりました」

 女の子だけのバレエ教室に抵抗はなかったのだろうか?
「まったくなかったですね。単純に身体を動かすのが好きだった。同い年の男の子も習っていたことも大きかったかもしれない。バレエスキルを習得することも楽しかったです。運動神経はそんなに良くなかったと思いますよ。今でも特別良いとは思っていないです」

 プロのダンサーを意識したのは何かきっかけがあったのだろうか。
「父親の転勤でプロダンサーを目指す子たちがたくさんいるバレエ教室に入ることになって、コンクールに出場し始めたんですね。それで小学校6年生ぐらいに1位を取れたりしていたので、漠然とプロになるんだろうなと思っていました」
 
 まさに羨ましいプロへの入り口だが、同級生など周囲の反応はどうだったのだろう?
「中学生ぐらいになると、クラスメートが『1位取るなんてすごいな』と言ってくれて、バレエを習っていることは隠してもいなかったし、友達からは『踊って見せてよ』って興味を持ってくれたり、恥ずかしいという気持ちは全然なかったですね」

 その後、スカラシップ賞を受賞し、高校2年生で英国ロイヤル・バレエ・スクールに留学。2人部屋の寮に入ることになるが、同室の相手はなんとセルゲイ・ポルーニンだった。
「一緒にご飯を作ったり、ゲームもしました。彼はレッスンが終わって、友達に会いに外出して門限過ぎにしか帰ってこなかったですね(笑)。僕の影響でいっしょにピアスを開けました」
 ダンサーとしてのポルーニンの印象は?
「こういう人を天才肌っていうのかなと思いましたね。彼は朝起きてすぐなんでもできるスーパーダンサー。バーレッスなんて全然しないで、すぐセンターで踊っちゃうんです。ポルーニンと1年間過ごせたのは良い思い出です」

 留学当初は外国語でコミュニケーションが取れないもどかしさがあったと振り返るが、それ以上に辛かった経験が、ある“事件”を引き起こす。
「クラスで僕は身長が一番低かったんですが、そのせいだったのか分かりませんが、バレエ団のリハーサルに僕だけ加わらせてもらえなかった。朝のクラスが終わって、17時までやることがない。みんなが経験しているリハーサルを僕は体験させてもらえなかった。僕がここにいる意味はあるのか?」

 その疑念を抑えきれなくなり、クラスが終わって校長室へ直行、突然宣言をする。
「僕は学校を辞めます」
「辞めてどうするの?」
「帰国します」
「いつ?」
「今日帰ります」
 そのときの時刻はお昼過ぎ。その会話後の足で航空券を買いに行き、寮に戻って荷物をまとめ、稽古着のままジャケットだけを羽織って空港に到着。空港内のトイレで着替えた。
「誰にもお別れを言わずに帰国しました。誰にも会いたくなかったのかもしれない。たぶん悔しい気持ちの方が強かったんだと思います」

 とはいえ、あまりにもドラマチックな急展開。あと1年で卒業できるはずだったのをあっさりと捨てる勇気には感嘆させられる。
「もうムリだ!そう思ったら僕は直球なんです(笑)。空港で『今から帰るから』と家族に電話しました。その決断にいまでも後悔はしていないです」

普通の生活ができなかった

 しかし、その電撃的な帰国から翌年の2007年、再び海外に赴くことになる。
「ユースアメリカグランプリでスカラシップを頂いて、ウィーン国立歌劇場バレエ団研修生として入学しました。いくつかオファーを頂いたのですが、そこを選んだ理由は、当時ダニエル・シムキンが在籍していたことも大きかったですね。やはり彼はスーパーダンサーでした」

 シムキンはフレンドリーで食堂の美味しい食べ物を教えてくれたり、憧れのダンサーとの出会いは良好だったが、そう簡単には進まなかった。
「留学期間は10か月間と決まっていたのですが、その間2回も入院しました。ヘルニアと水疱瘡です。入院は初めてでした。シムキンがファーストキャスト、僕がサードキャストに選ばれ、『コッペリア』にソリストの役で出演するはずが、ヘルニアがひどくなり出演できなくなってしまった」
 しかし、それだけではすまされなかった。
「ヘルニアの状態が改善して、学校公演の『ドン・キホーテ』のバジルに選ばれたんですが、今度は水疱瘡で入院。シムキンと同じ役を踊れるなんて恵まれていたと思いますが、結局どちらにも出演できなくなったんです」

 帰国後はKバレエカンパニーのソリストとして経験を数年積んだのち、フリーダンサーとしての再スタートを決めるが、ヘルニアの症状が悪化してしまう。
「退団した同時期にひどくなり、最終的には歩けなくなって松葉杖になった。もうダンサーどころではなく、普通の生活ができない。ベッドに横たわることもできなくなってしまい、起き上がることも痛みが強くて無理なので、ソファーにクッションを重ねて寝る。でも痛くて2時間ぐらいで目が覚める。そんな生活を1か月間ぐらい続けていました」

 そしてある決断を迫られることになる。
「ヘルニアと診断されたのは18歳の頃でしたが、痛みが出る時期と治っている時期を交互にやり過ごしてなんとかなっていました。ウィーンにいたときも入院はしたけど手術はしなかった。でも日常生活ができないほどの痛みの中で、手術しないという選択はないなと思い、やっと踏み切りました」
 幸運にも手術後は良好で、2012年の8月上旬にオペを受け、11月には舞台に出演。3か月間で完全復帰するという驚異の復活を遂げる。

マルチな才能

 それ以降、全国各地の劇場で踊る機会を得ているが、そのなかで最も記憶に残る出演舞台を挙げるとすれば?
「2017年に日本バレエ協会の『ラ・バヤデール』で酒井はなさんと共演させて頂いた舞台ですね。東京文化会館でこの全幕を踊れたことは貴重な経験だと思います。はなさんには、プリンシパルの立ち振る舞い方など、とても大切なことを教わりました」
 それ以上に経験できたのは、本番のマジックだという。
 「はなさんはリハーサルと本番が違うんです。マイムもパもすべての空気感がもうアーティストなんです。ときにはリハーサルとは違った動きが出る。その感情が乗ったときのムーブメントがとてもアーティスティックでライブ感があるし、素晴らしいダンサーです」
 もうひとつ強く印象的に残っている作品は、スターダンサーズ・バレエ団の『ジゼル』にゲストダンサーで主演した2015年の舞台。
「ピーター・ライト版を伝授頂いたこともすごく大きかったと思います。いまでも基盤になっています」

 そして、2013年1月にはシンフォニーバレエスタジオを設立、5周年記念となる2018年には生オーケストラの演奏で『白鳥の湖』全幕を主催・主演した。
「僕はもともと凝り性なので、突き詰められる環境が心地よいですね。舞台製作はもちろん大変ですが、すごくやりがいがあります。ついてきてくれた生徒たちに感謝です。公演が失敗したら僕が全部かぶるから、思う存分踊ってくれとお願いしました。『白鳥の湖』の楽曲はぜひ生オケで開催したかったので、リハーサル演奏を聴いたときには、涙が出るほど感動しました」

 ゲスト出演のみならず、全幕舞台の主催と主演、自身のバレエ教室運営と講師、オフには楽器演奏と作曲もする。すべてをどのようにマネージメントしているか、周囲からも感心させられると言うが、まだまだ意欲は尽きることがない。
「今まで通り数多く舞台を踏んでいきたい。創作意欲もあります。自分が踊るだけでなくて、振付もしたいですね。もっと大きな野望を言えば、僕が創った曲で振付することもやってみたい。構成・演出・振付・作曲・主演みたいな(笑)」

 これまでの功績を湛えられ、2018年3月には第33回服部智恵子賞を受賞。
受賞したときの思いを聞いてみると、「単純にびっくりしました。もちろん賞の名前は聞いたことはあったのですが、賞についてネットで即調べました(笑)」

 勢いはとどまるところがなく、1年先の2019年の秋まで舞台出演予定がびっしり。
2018年11月11日には、篠原聖一バレエ・リサイタルDance for Life2018の『アナンケ』 宿命~ノートルダム・ド・パリ~に、グランゴワール役で出演する。主演の下村由理恵・エスメラルダに助けられる詩人を演じる。
「先日、由理恵さんと振り合わせをしましたが、リハーサルから全力で取り組むストイックなダンサーです。2017年の『ロミオとジュリエット』ではマキューシオ役で共演させて頂いたのですが、可愛らしいなと感じる仕草さとか、表現力が豊かで魅力的なアーティストです。また共演させて頂けるのは嬉しいです」
 
 その翌月の12月には井上バレエ団『くるみ割り人形』の王子役で主演。続いて、札幌舞踊会『カルミナ・ブラーナ』、2019年1月には日本バレエ協会・神奈川ブロックで『ドン・キホーテ』の出演等が決定している。まだ解禁前の公演情報もあり、今後の活躍がますます楽しみだ。

 

C)RYO OHWADA

C)RYO OHWADA

==プロフィール==

山内貴雄、小柴葉朕に師事。05年英国ロイヤル・バレエスクール留学。07年ウィーン国立歌劇場バレエ団研修生。09年Kバレエカンパニーにソリストとして入団。02年東京新聞全国舞踊コンクールバレエ2部第1位。04年ジャパン・グランプリ ジュニアA第1位金賞受賞。06年ユース・アメリカ・グランプリ日本予選シニア第1位。07年NBA全国バレエコンクール高校生の部第1位。13年第70回東京新聞全国舞踊コンクール パドドゥ部第1位。

公演情報

篠原聖一 バレエ・リサイタル DANCE for Life 2018
『アナンケ』宿命~ノートルダム・ド・パリ~
2018年11月11日(日)メルパルクホール
https://www.mielparque.jp/tokyo/hall/