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INTERVIEW

小㞍健太Kojiri Kenta

ダンサー・振付家 

「情熱があってこそ」

日本人男性で唯一入団が認められた、イリ・キリアンが率いたNDT1(ネザーランド・ダンス・シアター)出身のダンサー・振付家 小㞍健太。退団後も自作自演ソロの創作や渡辺レイらとの主宰ダンスプロジェクト「Opto」の活動のほか、オペラやミュージカル、フィギュアスケート日本代表選手の振付と指導まで幅広くダンスを志向する。18歳で渡仏から20年以上、欧州と日本で活動を展開し、2018年10月から国立シャイヨー劇場のレジデンスプログラムにてパリに約1ヶ月滞在し、島地保武による作品の成果発表を終えた帰国直後のインタビューとなった。

 2018年12月8日からは、Optoの公演「optofile_touch」が彩の国さいたま芸術劇場と愛知県芸術劇場で開催される予定で、リハーサルは大詰めを迎えている。間近に控えた舞台と、これまでのダンスライフ、今後の活動予定についてじっくり語ってくれた。

導かれた母の言葉

 そもそものダンスとの出合いをうかがってみたい。
「3歳のときにテレビでフィギアスケートを見て踊るのをみて、両親が体操教室に連れて行ってくれたのですが、僕は『これじゃない』と言ったらしいです(笑)。それで、その体操教室の近くのバレエ教室になったのがはじまりです」
 3歳にして自分のやりたいことが分かっていた感受性の強い子供だった。
「はじめてのバレエレッスンは覚えています。ストレッチしながら自己紹介しました。音に合わせて踊るのが好きでしたね。3歳の終わり出た発表会で、照明のある大きな舞台で衣裳を着て踊って、みんなの家族が花束を持って見に来てくれる体験もすごく楽しくて。本番は、とにかく自由になれたのでレッスンより好きでした(笑)」
 その野口翠子バレエスタジオには、ローザンヌ国際バレエコンクールに出場する17歳まで通うこととなった。

「コンクールへの出場は自分の意志です。でも自分の中で、『プロのダンサーになる』という考えはその時点では現実的でなかったですね。照明技術者とか舞台関係の仕事に就きたいとは思っていました」

 ダンサーへの道を切り開いてくれたのは、大学受験前の母親のある一言だった。
「『バレエを辞める前に、記念に札幌のバレエセミナーに参加してくれば?』と旅費と受講料を出しくれました。そのセミナーでの出会いは、僕の意識を大きく変え、留学してみたい、ローザンヌを受けてみたいというバレエの道を進む目標を見つけました」

 が、その高校2年生の夏、予想外の出来事に遭遇する。
「そのセミナーで大怪我をしてしまったんです。それでその年のコンクール出場は断念することになりました。でもそのおかげでというか、怪我をしたことでこれからどうしたいのかを真剣に考えるきっかけになりました。今までコンクールに出たことがなかったので、まずは国内で受けることにして、2つのコンクールを受けてどちらも決勝に残れなかったらローザンヌは諦めると両親と約束をしました」
 バレエを習っていることは、高校の先生にも同級生にもあまり言ってなかったので、先生から「どうりで姿勢がいいと思ったよ」とビックリされたらしい。

 そして、高校3年の春に東京新聞主催の全国舞踊コンクールに出場。
『シルフィード』のジェームズを踊ることになったが、その裏話がちょっと面白い。
「入賞できる自信はまったくなかったです。僕は3番目の出番だったのですが、バレエ教室の先生も僕も2番目の子が棄権したことを全然知らなくて、まだズボンを履いていてストレッチしているときに、『次はシルフィードの~』とアナウンスも聞こえず、周囲の人達の『次は君、君だよ!』という声の中、前奏曲がはじまり、慌ててズボンを脱いで出場しました(笑)」
 しかしそれでも初のコンクール出場で、見事入賞する結果を出した。 

 その翌年の高校3年の1999年冬、ローザンヌ国際バレエコンクール出場へのリベンジを果たす。
「プレッシャーはなかったですね。振付の先生からは、健太が残れたら奇跡だと言われてましたし(笑)。はじめての海外だったので、夢が叶って楽しくて仕方なかった」
 そして結果は、プロフェッショナル・スカラーシップ賞受賞という快挙!
「当時の僕は現実を飲み込めてなかったです。海外のバレエ団の研修生として行くことになり、『君次第で、ツアーにも公演にも出られる可能性はあるよ』と言ってくださったモナコ公国モンテカルロ・バレエ団に決めましたが、プロのダンサーがどういうものなのか、よくわかっていなかった。プロのダンサーがどういうものなのか知り、プロになる覚悟ができたのは、渡仏して研修を積みながら徐々にでした」
 研修生としてモナコでプロのダンサーたちに揉まれ、こんなダンサーになりたいという強い意識も生まれ、ついに公演の主要キャストに選ばれる。
「ゲネの直前に、ケンタを出すか出さないかを今夜の出来出次第で決めると言われ、このチャンスを掴みたくて無我夢中で自分を出し切って踊りました。
 そしたら『なんでそれを最初からやらないんだ』と言われ、自分ではやっているつもりだったけれど、知らずのうちに自分でここまでと制限を作ってしまっていたと気づきました。それ以降は、常に思っている以上の自分を出し切ることに徹しています」
 その後、多大な影響をうけることになったイリ・キリアンとの出会いが待ち受けていた。

キリアンの贈りもの

 「毎年クリエーション(新作)を踊る機会が増え、色々な振付家の作品にも出演するようになって、一番仲が良かった同僚がNDT2に移籍したこともあり、NDTの公演をオランダに観に行くようになりました。それで少しずつバレエからダンスへと視野が広がり、キリアンの作品や他の現代振付家の作品を僕も踊ってみたい、から絶対やりたい!に変化していきました」

 もっとクリエイティブな世界で挑戦したい気持ちが、NDT2への移籍、そしてNDT1の入団と繋がっていく。キリアンに憧れて入団を望むダンサーは全世界から集まっていた。
「ダンサーの間では『キリアンマジック』と呼んでいました。本当に魔法にかかったような空間が現れます。彼は言葉で伝わりきれない感情をダイレクトに人に届ける作品を創造する。繊細だけど破壊的。そんなマジックにダンサーはみんな魅了されました」

 キリアンマジックは、それだけではなかった。
「NDTに8年間いましたが、キリアンがスタジオで怒ったことを僕は一度も見たことはなかった。キリアンの人間性にとても惹かれます。彼は僕たちが知らないことをけっして軽蔑することなく、あたたかく知識を共有してくれる。なぜそういう振付にするのか、詩を引用して説明してくれたり、僕たちの創造を掻き立ててくれるんです。動く前に、まず振付となった“基”を大事にしてくれました」

 さらにダンサーとしての成長を促すキリアンからの助言があった。
「踊るときに、『自分自身でいなさい』と言われました。違う人を演じたりする必要はない、と。それからは、“本当の自分”を探して踊るようになりました。
 また、『自分が踊ってきたことを自分の言葉で伝えられるようになりなさい』とNDTで教える機会をもらったことも、大きいターニングポイントになりました。ダンスを言葉でどう駆使するのか、教え子からもフィードバックをもらうことで、自分でも整理できる機会になっています。そのキリアンの教えが、いま活動しているダンスラボにも結びついています」

 忘れられないワンシーンがある。
「キリアンがNDTに最後に振り付けた作品を踊らせてもらうことになりました。『Mémoires d’ Oubliettes (忘れられた思い出)』というタイトルで、キリアンが創ったこれまでの作品の様々なエッセンスが織り込まれた新作です。そのラストシーンのソロを僕が即興で踊らせてもらうことになりました。
 ですが、キリアンさんの増大な作品の記憶データ量と、僕が持っている情報量とでは大きな開きがあって、情報量だけではないその思い出も考えると大きすぎて、弱音を言ってしまい失望させてしまいました。今まであまり感情的になったことはお互いになかったのですが、リハーサル中などピリピリした時期もありました」
 大きな期待を背負ってのプレッシャーの中でNDT50周年記念公演の初日を迎え、無事に幕が降りたとき、キリアンが歩み寄ってくれた。
「私は、君の証人だ。君がここでダンサーとして成長し生きたことを、たとえ周りが忘れても僕はずっと覚えているよ」

 

C)RYO OHWADA

C)RYO OHWADA


ダンサーとしての苦悩

 10年間ヨーロッパを基盤に活動してきた一方、日本で活動する大変さに悩まされた。
「欧州でやってきたことを日本でやろうとしても、日本ではできない現状があります。 共感できる人に出会えず、自分の踊りたいダンスをやっていく自信がなくなって、ダンスをやめたいと思う時期がありました。
 僕は、ダンサーとして色々変化していきたいし成長したい。でも僕がしてきた海外での活動の先にある新しいことをやろうとしても、いままでの活動を見せらる機会を得られず、なかなか受け入れてもらえない。自分の経験を元に積んでいきたいのに、それができない。そんなジレンマの突破口の一つが、『Opto』の活動となっています」

 そのOptoの最新公演『optofile_touch』が、12月8(土)、9(日)に埼玉で、15日(土)・16(日)に名古屋で開催される。振付家クリスタル・パイトの作品『The Other You』を日本での上演することに、バイト自身が特別に許可してくれたという貴重な舞台となる。
「欧州で積み上げてきたことを日本で紹介しながら、新しい要素も少しずつ織り込んでいきたいと思っています。ストーリーの有無にかかわらず、作品力があるものを届けたい。
 振付をうまく踊るとかよりも何を訴えたいか、形にとらわれない身体表現を、情熱と愛をもって踊りたい(笑)。このふたつがないと何も伝わらないですから」
 小㞍の新作、渡辺レイによるソロ作品『NEP and BAT』のほか、ヴァツラフ・クネシュの『Recall』、湯浅永麻の新作自作ソロ『media(仮)』が予定されている。ゲストに、アンソニー・ロムルホ(スウェーデン王立バレエ団)、フィリップ・スタニェック(420PEOPLE)、大石将紀(サクソフォン奏者)が出演する。

 ダンサーの活動以外にも、東京大学主催のアートマネジメント育成事業(AMSEA)を受講。
「自分がダンサーとして踊ること以外に何ができるだろうか。踊ることだけがダンスではないと思うようになり、ダンスを取り囲む環境やその現状、どうしたら僕たちがやっているようなダンスを日本の現代社会にもっと認知してもらえるのかなど、興味の視野が広がっています。」
 事実、昭和音楽 大学短期大学部のバレエコースや新国立劇場バレエ研修所などで教鞭も取っている。
「ダンスを本格的に習っている生徒でもキリアンを知らない子もいます。ギエムを知らないのは、ちょっとショックでしたね(笑)」
 また、第一回目の「Dance Lab『ダンサー、言葉で踊る』」ではキュレーターとして参加した。
「このような企画にダンサーとして新しい役割で関われたことに感謝しています。踊らずに思考する時間を持てたのは、僕たちダンサーにとっても良い機会だと感じました。違う角度からダンスを見つめ、ダンサーも観客も視野を広げていけたらと思います。ダンサーは受け身でなく、常に想像し様々な角度からダンスを捉えて踊っているということを知ってもらえたのも良かったですね(笑)」

ダンスの奴隷

 振付家としてもミュージカルのみならず、フィギュアスケートの世界でも活躍している。
「オファーはいつも意外なところからやってくるので『僕にやらせてくれるんですか?ありがとうございます!』という感謝の気持ちでいっぱいです。
 僕が創作でいつも心掛けているのは、その人の情熱が見える動きを振り付けたいと常に考えています。それを探してあげたい。僕はこうだからという一方的に与える振付はしたくない。ダンスの基本は情熱と愛からくると思っています」

 真剣にダンサーをやめようと考えたというが、きっと周囲が納得しないだろう。ザ・フォーサイス・カンパニーで踊っていた安藤洋子にこう言われたという。
「健太くんの踊っている姿に、ダンスが好き!っていうのがすごく見える。踊りを取ったら死んじゃうんじゃない?やっぱりあなたもダンスの奴隷だよね(笑)」

 2018年10~11月にパリのシャイヨー劇場で開催された、島地保武・辻本知彦との3人のクリエーションを日本で実現させたい思いもある。フランス中の劇場関係者が観に来たというこの新プロジェクトのワークインプログレス、手ごたえはあった。
「島地くんと僕は世界観が正反対で、僕は洗練された静かな空気感を好みますが、彼は無邪気さと奇抜さの絶妙なバランスを保っている。リハーサル中に突然,『ここで振付を隠して踊って』って言われて、え?みたいな(笑)、とにかく発想が面白い」

 2017年8月には原美術館を舞台に、ソロ公演『Study for Self/portrait』を開催した。
「僕の過去から現在の変化してゆく姿を踊りで表現した舞台を創りました。履物をバレエシューズ、スニーカー、ソックス、裸足という風に踊りの質が変わっていったというポートレートを題材とした作品です。
 僕が踊ることで引き継がれてゆくなら踊り続けたい。そういうダンサーになれるのなら(笑)」

 2019年以降も新たなソロ公演の企画がある。
「自分の表現って何だろう。自分に何が残っていくのか興味があります。照明や空間も含めダンスを志向しながら創造することをライフワークとしてソロ公演は続けます。自分の信じるダンスを踊っていきたい」

 

C)RYO OHWADA

C)RYO OHWADA

 

==プロフィール==

3歳から野口翠子バレエスタジオに通う。第27回ローザンヌ国際コンクールのプロフェッショナルスカラーシップ賞受賞後、モナコ公国モンテカルロバレエ団で研修生を経て、18歳でネザーランド・ダンスシアター2(NDT2)に移籍。2006年には日本人男性初のNDT1の入団を果たす。2010年のNDT創立50周年記念公演でイリ・キリアンの最後のクリエーション作品をソロで出演し高い評価を得る。現在はオランダを拠点にダンサー兼コレオグラファーとして、ダンス界のみならずミュージカルやフィギュアスケートの振付・指導など幅広いジャンルで活動。新国立劇場バレエ研修所、昭和音楽大学などで講師も務める。

公演情報

Opto『optofile_touch』

2018年12月8(土)、9(日) 彩の国さいたま芸術劇場 小ホール
http://www.saf.or.jp/arthall/stages/detail/5726

2018年12月15日(土)、16(日)愛知県芸術劇場 小ホール
http://search-event.aac.pref.aichi.jp/p/event_card_kouen.php?eventNo=1020180000480061