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INTERVIEW

芳賀望Haga Nozomu

バレエダンサー 

「あきらめない気持ちは常にある」

カナダとアメリカのバレエ団を経て、Kバレエカンパニーと新国立劇場バレエ団で実績を積み、その後はフリー・バレエダンサーとして活躍中の芳賀望。昨今の舞台では、2018年11月の篠原聖一リサイタル『アナンケ宿命~ノートルダム・ド・パリ~』では悪役のリーダー・クロパン役として出演。王子役の出演の機会が多い中、悪役のクロパン役ははじけたような明るさで活き活きと舞台を駆け巡る姿が印象的だった。役柄的にも目力が強いキャラのためアイメイクもキリリと入れて、妖艶且つ野性味溢れる表現力で舞台を盛り上げた。
「王子役は演じ過ぎないことが大事だったりするのですが、この役はかしこまらなくていいので、テンションを上げっぱなしで踊りました(笑)」

 両親が主宰の「HAGAバレエアカデミー」でバレエをはじめたのは10歳からという、他のサラブレット家系と比べると少々遅めとも思われるスタートだが、それもそのはず本人は、「バレエは趣味」という位置づけだったという。その後、どのようにプロダンサーとしての道を歩んだのか、これまでのバレエライフについて真摯に語ってくれた。

語学留学のはずが……

 中学生になったばかりの13歳でカナダに単身留学をしているが、どんな経緯があったのだろうか。
「もともとは語学留学で行ったんです。語学勉強のついでに“趣味のバレエ”をちょっと学ぼうという感覚でした。兄が中学一年のときにカナダに語学留学したことに感化されて、『僕も行きたい』とお願いし、両親がバレエも学べる語学学校を探してくれたんです。
 でも面白いのが、幼いころから“バレエは趣味”と考えていた記憶だったんですが、小学校の卒業アルバムに、『将来はバレエダンサーになりたい』と書いてあったんですよね。その頃のことを全然覚えていないんですけど、頭のどこかにダンサーへの憧れがあったのかもしれないですね」

 その後、約6年間カナダのゴーバレエに在籍することになる。
「海外でずっと仕事して行きたいという思いがあったので、帰国するプランはそのときはまったくなかった。でも16歳のとき韓国の国際コンクールに出場した時期が夏休みだったので日本に一時帰国することになったんです。その間に、牧阿佐美バレエ団のレッスンを受けたのですが、『明日からいらっしゃい』とお誘いいただき、日本を拠点に活動することになったんです」
 その後、『くるみ割り人形』のトレパックや、『三銃士』『ロミオとジュリエット』などの公演で重要な役どころに抜擢される。
「在籍期間は短かったのですが、牧先生とはその後も不思議とご縁があって、新国立劇場バレエ団に入団したときに芸術監督としてご指導いただき、今でも牧先生の公演にゲストで招いてくださり、とても感謝しています」

 日本での活動拠点もすんなり決まり、非常に順調にみえるバレエダンサーの道のりだが、ある日突然バレエを辞めてしまう。
「16歳でバレエから完全に身を引きました。10歳のころからずっとバレエ漬けの毎日だったので、バレエから一切かけ離れた生活をしたくなった。もちろん親は大反対でしたが、小学生の頃の同級生たちと遊ぶようになって、バイクに夢中になり400CCの単車でツーリングに結構行きましたね」
  バイクに熱中してから1年半はあっという間に経過していた。その間に、バレエのストレッチもまったくなく過ごしたのだろうか?
「プリエはしませんでしたが、爪先とか甲を伸ばすことは習慣になっていましたね(笑)。テレビを見ながら何気なくとか」

運命的な出合い

「その日は、友達に会う予定がなく家に居たんですが、部屋にあったビデオを何気なく手に取ってDVDデッキに入れたんです。それが、熊川哲也さんが出演している『ラ・バヤデール』のパ・ド・ドゥのシーンでした。確か、1994年の青山バレエフェスだったと思います なぜそのDVDを手に取ったのかも覚えていないのですが、僕のどこかに変化が起きました。次の日両親に『もう一度バレエ留学させてほしい』と頼み、バレエ一筋に一気に生活が変わりました」

 約1年半の休息期間を経て、17歳からプロに向けての再出発。6年間過ごしたゴーバレエアカデミーに再留学をし、2年半を過ごしたのち、アルバータ―バレエ団の入団試験に挑むこととなった。しかし試験当日、思わぬハプニングに見舞われる。
「悪天候で飛行機が遅れての出発となり、実施試験の開始時間に間に合わなかったんです」
 それでもなんとか途中から受けさせてくれることになり、見事採用通知を受け取る。やっと20歳になったばかりだった。
「アルバータ―バレエ団には2年居ました。その後、ジェフリーバレエ団に移籍することにしたのですが、そこも2年ほどで退団しました。義務感で踊っているような感覚が拭えなくなってしまったんです。親が入院したこともきっかけになり帰国することに決めました」

 23歳で帰国してからほどなく転機が訪れる。
「インターネットでKバレエカンパニーが団員を募集しているのを知って、応募しました」
 熊川哲也の出演の『ラ・バヤデール』でバレエ界に引き戻され、そして日本で踊る機会を与えられたのも熊川哲也だった。
じつは、芳賀が小学校6年生のとき、ロンドンの英国ロイヤル・バレエの『ラ・フィーユ・マル・ガルデ』に両親に連れて行ってもらい、出演の熊川哲也から、公演後にサインをもらったことがあるという。
「Kバレエのストイックさがあるから、今の自分がある。哲也さんにはすごく感謝しています。僕は、振り覚えはあまり良くないですし、不器用なタイプです。その分居残りレッスンをしてカバーしていましたが、すごく悔しい思いを何度も経験しています。自分にイラつくこともしょっちゅうでした。『どうしてこの音が取れないんだよ』『なんでこんなことができないんだ』とか、哲也さんにはメチャクチャ怒られました。彼には天性の才能がある。彼特有の音の取りかた、彼にしかできない見せ方があります」
 入団して1年後の24歳で、『ドン・キホーテ』の主演バジル役でデビューする。
「その日のことははっきり覚えています。11月19日でした。じつは、新国立劇場バレエ団の『アラジン』で主演デビューしたのも、11月19日なんです」
 趣味の釣りでも19日に出場したときに見事優勝。ローカルの小さい大会というが、「19」はまぎれもなくラッキーナンバーだ。

 Kバレエカンパニーで出演した中でも忘れられない舞台は、海外公演ツアーで訪れた上海公演と語る。
「25歳のときでしたね。バジルを踊る機会を再度いただいたのが、上海での海外ツアーだったのですが、お客さんの反応がすごくて。ウヮーッという大きな歓声で会場全体がものすごい熱気で包まれて、観客の受け具合がハンパなかったですね。そのときの僕も絶好調で踊れたので、記憶に残る舞台です」

芸術性の追求

 Kバレエカンパニーは5年間在籍したのち、2008/2009シーズンから新国立劇場バレエ団にソリストとして移籍。2008年11月19日公演のデヴィッド・ビントレー芸術監督の新作『アラジン』で主役デビューを果たしたのは前述の通り。その他『ペンギンカフェ』『カルミナ・ブラーナ』『シンデレラ』『ロミオとジュリエット』など主要な役どころを任された。
 数々の出演作の中で、踊る側も本番中に背中がゾクゾクするほどの経験はあるのだろうか。
「スヴェトラーナ・ザハロワさんと『椿姫』で共演させてもらったとき、僕はジプシー役で出演だったのですが、顔をなでられるシーンがあって、そのとき全身に鳥肌が立ちました。直接頬に触れるわけではないのですが、一流のプリマの魅力を目の当たりにしました。
ヴィヴィアナ・デュランテさんもすごかったです。Kバレエカンパニーで『白鳥の湖』に主演されていたとき、二幕でオディールに変身して出てくるんですが、黒鳥になって舞台に登場しただけで、ゾクゾクしました。僕はベンノ役で舞台袖にいたんですが、圧倒的な役者魂を感じました」
 その他、新国立劇場バレエ団では、ファースト・ソリストとして重要な役どころを任されるが、3年間が経過したころ、フリーになる決意をする。
「約10年間バレエ団という組織の中で学ばせてもらって、自分で色々挑戦したくなったんです。それで半年間ぐらい、次はどうするかを模索していたとき、熊川哲也さんに『真夏の夜の夢』に出演してみないかというお話をいただいたんです。そのとき33歳ごろだったと思います。じつは、初演のKバレエカンパニーのその舞台を観て、音楽も素敵だし良い作品だなと感動した作品だったんです。
 僕は妖精の王オーベロンに出演することになったのですが、森を支配する役で演技もやりがいがある。でも、テクニカルの面でも技術的にもすごく難しくて、まだまだ実力が足りてないなと感じました。哲也さんがパックで、もう一度哲也さんと一緒に踊らせてもらって感動しました。今思うとこの舞台がターニングポイントとなったと思います。この舞台以降、前より何倍もメチャクチャ努力するようになりましたね」

 これまでダンサーとして苦しかった時期はあったのだろうか。
「そうですね…。Kバレエカンパニーのクラスレッスンやリハーサルでの求めるレベルが高すぎてついていけなかったことかな。でもそれが僕には良かった。哲也さんのダメ出しは、芸術性が高くアーティスティックなので、ダンサーの追求性も同時に上がりました。芸術性へのこだわり、高いレベルのこだわりが強かった。たとえ失敗しても挑戦することを肯定的に見てくれました」

 そしてもう一つ、熊川監督から受けた印象的な言葉があるという。
「哲也さんと食事していたときに、どんな話をしていたのかはあまり覚えていないのですが、『おまえは芸術家だからな』とひと言、何気なく言われたんです。あれだけ毎日厳しい言葉を投げかけられたていたのに、どこかで認めてくれていたのかな、と。小学生の頃から憧れてきた存在だったので、嬉しかったですね」

 その後も牧阿佐美バレヱ団や新国立劇場バレエ団との結びつきも深く、3月には「新国立劇場バレエ研修所の成果」と題した<エトワールへの道程2019>にもゲスト出演する。
 「アーティストとしてずっと成長し続ける自分でありたい。あきらめない気持ちは常にある。フリーランスで身体を維持するのは大変なんですが、以前より今の方が身体の状態は良くなっていると感じます。バレエへの姿勢も美意識も高くなってきています。舞台でお客さんと一体化できたときは最高の気分ですね。自分の良い状態を、良い踊りを、もっとお客さんに見せたい」

 

C)RYO OHWADA

C)RYO OHWADA

 

==プロフィール==

 神奈川県出身。芳賀バレエアカデミーを経て、ゴーバレエアカデミー(カナダ)、アルバータバレエ団(カナダ)、ジョフリーバレエ団(シカゴ)へ留学。アートコンペティション・チャンピオンシップ、アジア・パシフィック国際バレエコンクールファイナリスト。2003~07年Kバレエカンパニーに所属。08/09シーズンより登録ソリストとして新国立劇場バレエ団に参加し、ビントレー振付『アラジン』での主役を射止め、好評を得た。2009年より新国立劇場のソリストとして実績を積み、その後フリーのダンサーに転身、活躍中。

 

公演情報

<エトワールへの道程2019>
新国立劇場バレエ研修所の成果
2019年3月16日(土)、17日(日)新国立劇場中劇場
https://www.nntt.jac.go.jp/ballet/etoile/