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INTERVIEW

中川 賢Nakagawa Satoshi

ダンサー 

「夢はないけど、夢になれたらいい」

長らくNoism1のトップダンサーとして活躍してきた中川賢。ダンサーとしての本格デビューは、2004年に主演として抜擢された現代舞踊協会主催の『火の鳥』だが、その後、2007年と2009年に平山素子・振付の『Life Casting~型取られる生命』等に出演し、2009年からNoism1メンバーとして活躍。そして2018年10月から新境地を目指すこととなった。

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 今後の動向に注目が集まる中、退団後の初出演となるのが、2019年3月22日(金)から開催される平山素子・作の『POISON』リ・クリエイション。俳優の河内大和ら初演メンバーに加え、ダンス集団TABATHAの四戸由香も加わる。
「新メンバーの出演者を探していたらしいんです。それでちょうど僕の退団のニュースを知って、誘っていただきました。有難いですよね」

 その『POISON』のリハーサル真っただ中の、平山素子のスタジオで撮影・取材が行われた。8時間にも渡るリハーサル直後でありながら、丁寧且つ率直に語ってくれた中川賢と、ときどき平山素子のインタビューをお届けしたい。

 

C)RYO OHWADA

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流れのままに

 「よく印象が違うって言われるんですよ。舞台とは別人に見えるらしく、『Noismファンなんです』という人に、『僕、ホセ役で出てました』と言うと、『あー!そういえば…』とかビックリされたことは何度かありました」

 2018年10月、約9年間在籍したNoismを退団。2010年の入団以来、ほぼすべてのメインキャストに抜擢され続けており、Noismのスターダンサー的存在だったといってもまったく過言ではない。
「『Noismを辞める決心は簡単ではなかったでしょ?』って、よく聞かれるんですけど、何かが嫌だから、身体が痛いからとかはまったくないんです。過去と未来がちょうどバランス良くぜんぶが良いタイミングで、今かなと。逆にダンス以外の新しいこともやりたい。俳優?やれるものならやってみたいですね。そう簡単にはできないと思いますけど(笑)」

 そもそもダンスをはじめたのは6歳で、現代舞踊教室に通い始めたということだが、自ら踊りたい意思があったのだろうか。
「きっかけは姉です。よくあるパターンですね(笑)。富山県の和田朝子舞踊研究所に姉が通っていたのですが、あるとき和田先生の意向でボーイズクラスを新設することになって、習っている女の子の中で弟3人が集められたんです」

 レッスン内容はどんな感じだったのだろう。
「みんなでスキップしたり、並んで飛んだり体操のような練習をしたり、みんなそれぞれ違うレッスン内容を与えられたりしていました。運動神経が良いと思ったことはないですね。特にスポーツが得意というタイプでもなかったですし」
 
 その後、高校の進学先に東京都渋谷区にある関東国際高等学校演劇科を選択する。
「それまでクラシックバレエからは逃げていたんですが、授業のカルキュラムにバレエとジャズダンスがあったので必然とで習うことに(笑)。それからは外部のバレエクラスも受けるようになりました」

 プロのダンサーを意識したのはいつ頃なのだろう。
「だんだんそういう方向に向かっていったんだと思います。富山から東京に出ると決めたのがまずひとつの階段。『もう出ちゃったな。戻れない』という感覚はありました。そして高校卒業後は、日本大学芸術学部に進学。『芸術系に行っちゃったな』と思って(笑)。ミュージカルに出演させてもらう機会もありました。19歳のときです」

 その頃に出演した現代舞踊作品が、新国立劇場関係者の目に留まり、引き合わされたのがコンテンポラリーダンサーの平山素子だった。平成17年の文化庁舞台芸術国際フェスティバル主催公演の一つとして、平山素子新作『Butterfly』の共演者に抜擢。
「『良いダンサーがいる。ぜひ中川賢くんと踊ってもらいたい』とその方が素子さんに推薦してくださったんです」
 そしてふたりでカフェで落ち合い、「何が好きですか?」「何が得意ですか?」とまるでお見合いみたいな会話からスタートした。

 「大学を卒業してから、24、25歳ぐらいになっていたんですが、海外留学から戻ってきたダンサーから話を聞いたり、島地保武さんと踊らせてもらったり、色々なダンサーに出会っていく中で、だんだん『ダンスだけに集中したい』というダンサーとしての意識が高まってきました」

思いを寄せる人

 しかしすぐには、Noism入団へと繋がらなかった。
「『NINA−物質化する生け贄』の公演を観に行ったんですが、僕にはできないと思った。コワすぎる。レベルが高い。海外留学を進めてくれた友人もいましたが、自分の中ではしっくりこなかった。でも数年後、やっぱりNoismに入ってみたいという思いが沸いてきて、海外に行かなくても日本に良いカンパニーがあるじゃない。ダメでもいいから受けてみようと」

 そして、入団から約1年後には主役に抜擢される。
〈サイトウ・キネン・フェスティバル松本2011〉と題し、2012年12月初演された『中国の不思議な役人』。「役人にキャスティングされたと聞いて、あれ、僕って主役じゃない?これ本当に頑張んなきゃいけないかも。とにかく気合が入りましたね」

 その後の活躍は広く知れ渡る通り。Noism1のミューズであり副芸術監督の井関佐和子のダンスパートナーとしても確固とした地位を築く。団員からの信頼も厚かった。
「『サトシはポエムを背負ってるよね』『踊りから言葉が聞こえてくる』って言われたことは嬉しかったです。自分でも常に観客の目を意識しているし、こう動いたら人はどんな情報を受け取るだろうかとか。”間”も大切にしています」

 しかし一方で、ダンサーとして致命的な怪我に見舞われる。
「同じ膝の2回目の怪我だったんですが、30歳の頃、半月板損傷を負いました。舞台に復帰するまで1年かかりました。その間、Noismの舞台の裏方を手伝ったりして、穣さんは僕の復帰を見守ってくれました。その間は精神的に辛いこともありましたが、ちゃんと手術したんだし、これ以上の治療法はない。良くなる以外はないはず!とポジティブに捉えました。
 その怪我を経験して、また振り出しに戻ったというか、これができるようになるためにはこうすればいいという思考が、一歩一歩身体に浸透していって、どう身体を使うべきかがだんだん解ってくる。そのポイントをつかむと不思議と身体は動き出すんですよね。ダンサーへの過程をもう一度振り返ったような一年でもありました」

 Noismで常にメインキャストを踊ってきたプレッシャーはなかったのだろうか。
「あまりないかもしれないですね。どこでも割とそうなんですが、自分のスタンスをほどよく保つのが得意なのかもしれない(笑)」
 
 9年間一緒に過ごしてきた金森穣芸術監督への想いを聞いてみたい。
「穣さんから学んだことはすごく多いです。常に『思いを寄せる人』です。
それは、一緒に踊る人にも、観客にも、ダンスそのものの未来にも。思いを寄せるためにはどうすべきか。自分たちが踊りたいから以上に、お客さんに喜んでもらうためにどうすべきかを教わりました。
そして、『こだわり続けてあきらめなければ、いい作品ができる』ということも体得させてもらいました。穣さんは本番中でも演出等を色々変えるんですが、それはみんなのモチベーションをあげるためでもあるし、リハーサル中に、あえて厳しい言葉を投げてダンサーたちの闘志をかきたててモチベーションを上げてくれたり、結束力を高めてくれるんです」

あくまでも自然体で

 退団してからの変化はどう感じているのだろうか。
「9年間Noismに在籍していたので、踊るとNoismらしさが当然出てくる。でも違う自分を見せなきゃという考えもないし、新しい自分との間を行ったり来たりして今はそれが楽しい」

 Noismのほかの出演で、特に印象に残っている舞台があるという。
「いま横に素子さんが居るからではないんですが(笑)、『Butterfly』です。踊りで人を感動させた手ごたえがありました。僕は音楽が好きで、それまでは辛いことがあったとき音楽が救ってくれた。でも、ダンスでも人を感動させることができるんだと体感したとき、逆に感動させられました。
 『ダンスでも人を感動させることができるんですね』と素子さんに言ったら、『あたりまえでしょ!』と返されました(笑)。
 その舞台の中で、観客席をじっと見つめる演出があったんです。そのとき、なんとなく会場がしっとりしていく空気感があって『あれ?みんな泣いてるの?』と、お客さんとの一体感というか不思議な感覚でした。終演後も、周囲の人から『すごく良かった!』と表情からも感動が伝わってきて、あー、心から言ってくれているんだなと、嬉しかったですね」

 この『Butterfly』は平山素子がはじめて創作した2005年のデュエット作品。創作者本人にその頃の想いを聞いてみると、「デュエットの創作の仕方も基本的ルールも知らなかったので、ふたりでタイミングを揃えようとかいう感覚はなかったですね。賢くんの多感な20歳頃の揺れ動いている感じや、素直なところが良かったです(笑)」
 
 そして約10年ぶりとなる平山素子との共演。リハーサルの感覚はどうだろう?
「久しぶりな感覚は不思議とないんですよ。素子さんの舞台もよく観に行ってたし、スタジオにも遊びに来たりしていたからかな。でも、素子さんは前よりだいぶ症状が悪化していますね」
 というと!?
「振付の中で、左から右に移動する幅のことを、『宇宙から飛び降りるように!』とか言うんですよ。前からそんな予兆は少しあったんですが、さらに加速してますね(笑)。楽しいです」

 その軽口に応えて平山曰く、
「前より遠慮がなくなった。以前は無言で独りでストレッチしていることも多かったですね。今はもっと周囲とも話すようになったし、『これはどうですか?』とアイディアを持ってくるようになったね」

 2015年初演の『POISON』では、平山と宮河愛一郎が踊った重要なシーンを、中川と四戸由香が受け継ぐ。
「素子さんからは『もう一度デュエット・シーンを踊ってほしい。どんな風に踊ってくれるのか見たい』と言われました」

 「賢くんの本質的に良いなと思うところは自由な表現。それをキャッチするのが好きですね。高度なテクニックをどう解体しようかと企んでいます(笑)」と、いたずらっぽい視線を投げる平山素子。
 そんな様子を伺っていると、当然ふたりの出演シーンに期待がかかる。
「素子さんとのデュエットですか?いま横で『創る予定』って言っています(笑)」
10年ぶりの共演という話題性もさることながら、キャストも増え、規模も拡大される舞台に期待せずにいられない。新・中川賢誕生の最適なステージといえるだろう。

「よくこれから何をしたいのと聞かれるんですが、ないんです。でも『ない』って言われたらガッカリしますよね(笑)。僕はずっと上質なダンサーになりたいと思っていました。良いダンサーになるためには、をずっと追求してきた気がします。
 やりたいことのためにやるのではなく、やりたいことを積み重ねたらこれが夢だった、みたいになりたい。夢はないけど、夢になれたらいい。僕でよければなんでもやりたいです」

C)RYO OHWADA

C)RYO OHWADA

==プロフィール==

 6歳から現代舞踊を和田朝子に師事。関東国際高校演劇科卒業。日本大学芸術学部演劇学科洋舞コース卒業。2003年~2009年まで、現代舞踊公演『火の鳥』主演のほか『回転木馬』カーニバルボーイ役や『イーストウイックの魔女たち』マイケル役などミュージカルにも出演。2009年から「Noism1」に入団、ほぼすべての舞台で主演を務める。2018年10月フリーダンサーとして始動。

 

公演情報

『POISON』リ・クリエイション 
2019年3月22日(金)~24(日)世田谷パブリックシアター
http://alfalfalfa.net/poison