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INTERVIEW

佐藤洋介Sato Yousuke

ダンサー・振付家

「ダンスに終わりはない」

もはや、”〇〇”ダンサーというジャンル分けが不要なダンサー・振付家の佐藤洋介。ダンスのきっかけはマイケル・ジャクソンへの憧れだが、バレエを基礎としたジャズダンスを得意とし、コンテンポラリーダンサーとしても同業のトップクラスのダンサーたちと舞台に立つ。また、松田聖子や小柳ルミ子のショウにダンスパートナーとして出演するなど、多方面で活躍している。オフのファッション・スタイルはジャージに下駄が定番。下駄のこだわりは「プレゼントでもらってから履くようになった」とのこと。撮影シーンには、下駄を持ってコミカルにポーズを決めたり、犬の散歩について行ってしまうなど、茶目っ気たっぷりに挑んでくれた。

 中学生の頃からダンスに興味を持ち始めた佐藤青年は、ダンスにどんなジャンルがあるのか何も分からないまま、応援してくれる母親と『ダンス』と書いてある、あらゆるスタジオの扉を叩いたという。

ただただ踊りたい

 「自分のイメージするダンスとは、ちょっと違うかな。これじゃないんだよなぁと思いながら、色々探し回りましたね」
そこでやっと高校1年の冬に出合ったのが、ボビー吉野ジャズダンス・スタジオ。バーレッスンをはじめ基礎から学んだ。
「今でもボビー先生から仕事のオファーをいただいたり、つながりがある。一番最初の師匠です」

 19歳でダンサーとしてのスタートはかなり早い部類に入るが、即ダンサーとして活動をはじめたのではなかったという。将来を心配した父親から、まず何かの資格を取ることが条件だった。そこで、中学の担任の先生が見付けてくれたのが、国立館山海員学校。四等航海士の資格を取るためだけに、高校1年の春から3年半の寮生活がはじまる。
「金曜の夕方に実家に帰り、第2、第4の土曜はダンスクラスを2つ受けて日曜に寮に戻って、第1、第3の土日はダンスレッスン費を稼ぐために、館山の旅館で泊まり込みのバイトをしていました」。
 そして無事に同校を卒業後、「それじゃぁ、踊るね」と父親に告げ、ダンスの世界に堂々と身を浸すことになる。

 ダンスレッスンに没頭する日々の傍ら、次のアルバイトを探すために手に取ったアルバイト雑誌で、「ディズニーランド・パレードダンサー募集」の文字が飛び込んでくる。
「バックダンサー以外に、踊りの職業があるのをはじめて知りました。ものすごく楽しかった。それまで男臭い引っ越し業者や工事現場などのアルバイトだったのが、女性の数の方が多い世界になった(笑)。お客さんの喜ぶ顔が間近で見られるし、充実していました」。
 そこで1年半を過ごすが、同時に、プロのダンサーとしての意識も高かった。
「ダンサーとしてちゃんと訓練したいと思っていたとき、劇団四季では月曜から金曜までダンスクラスがあって、それが無料で受けられるって聞いたんですよ」
 即オーディションを受けに行き、劇団四季の研究員としての生活をスタートさせる。
 「本格的なバレエレッスンは劇団四季で学びました。でも演技と歌のレッスンは毎回パスして、外部のダンスレッスンを受けに行ってました」
 1年を過ぎたころ『ジーザスクライストスーパースター』『ライオンキング』の2つの舞台にキャスティングされるも、やはり踊りに集中したい気持ちが強く、劇団四季をあとにする。

 20代前半には単身ニューヨークに飛び、2週間ダンスレッスンを受けた。
「僕が通ったのは一般人たちが通うクラスだったんですが、一番刺激を受けたのは、踊りに対する生徒たちの姿勢ですね。体の大きい丸々した人から色々な人たちがレッスンを受けていたんですが、みんなすごく楽しそうだった。日本との違いに驚かされました」

 その後も日本で様々なダンスクラスに通うが、もっとも影響を受けた師匠に、〈名倉ジャズダンススタジオ〉の名倉加代子の名を挙げる。
「スキルだけでなく、人間的なあたたかさや考え方、教え方に一番影響を受けました。たとえば、ダンサーのひとり一人に『ここがまだだけど、こういうところは成長できたわね』と、一対一でアドバイスをする。中々できないことだと思います。
 僕自身、壁にぶちあたったりしたときに名倉先生に相談すると、正しい答えを導き出してくれる。大きなミスをしてしまったというときでも、先生に話すと、大した失敗じゃなかったのかなと思わせてくれる」
その信頼おける名倉先生との共演で忘れられない舞台がある。
 「2012年の青山劇場で、名倉先生とはじめてデュエットを躍らせてもらいました。男性ゲストが2回ずつ踊るパートで僕が初日でした。先生と踊るのは憧れで夢でした。終演後のカーテンコールで、先生とふたりで手をつないでおじきをしたとき、先生の手が『やったわね、洋介』というように強く握ってくれたんです。すごく感動しました」
 その名倉加代子や、ボビー吉野、吉元和彦の師匠たちとの出会いが、佐藤洋介のスタイルを確立していく築きになった。

ローラン・プティからの出演オファー

 ローラン・プティに見いだされた日本人ダンサーといえば、菊地研(牧阿佐美バレヱ団プリンシパル)が有名だが、じつは佐藤洋介もそのうちの一人である。「“見いだされた”なんて書かないでください」と本人はいたって謙虚だが、プティから直接声がかかり、2004年の『ピンクプロイドバレエ』に出演が決定したのはまぎれもない事実である。その経緯が興味深い。
「広崎うらんさんから舞台のアシスタントを頼まれて、舞台上で小道具を運んだり、マニュエル・ルグリさんの衣裳転換を手伝ったりといったお手伝いをしていたんですが、そのときプティさんも現場にいらっしゃったんです。
 それで、プティさんから『ちょっと踊ってみて』と突如声をかけられて、即興で踊ったら『面白い』と言われ、急遽出演キャストに加わることになりました。でも、じつはプティさんが誰だかそのとき僕はまだ知らなくて(笑)」
 道具を運んでいる歩き方に目をつけるプティの眼力もやはりすごい。佐藤洋介のダンサー仲間の辻本知彦・森川次朗・柴一平も加わることになり、マリ=アニエス・ジロとで『Run Like Hell』を踊った。
「そのほかの『Money』『When You’re In』にも出演することになり、とにかく大変(笑)。バーレッスンに加わって、トップレベルのバレエダンサーを目の当たりにして、改めてすごいなと感動しました。振付も複雑で本当にハードでした」

 想像以上に、ダンスパフォーマンスは過酷なのだろう。
「ほかにも忘れられない舞台といったら、2005年のジャズダンス協会の『YOSHITSUNE』ですね」
 源義経をモチーフにした主役に抜擢。当時27歳。
「主演がはじめてでしたし、頭の上より高いリフトをするのも初だったので、それもチャレンジングでしたが、戦国武将だから闘うシーンが多くて、常に舞台にずっと出続けるので、最後のシーンでもう脚がガクガク。もうこんな感じ(と実演)。最後のシーンで立っているだけで本当に精いっぱい(笑)。体力的な大変さを痛感しました」

 肉体的なハードさでいえば、2017年の『Linked Horizon Live Tour 2017 「進撃の軌跡」』も忘れられない舞台のひとつと語る。
 「進撃の巨人」のアニメーションをバックに、生オーケストラとダンスパフォーマンスが繰り広げられる。ダンサーは佐藤洋介、OBA、細木あゆ、矢島みなみが出演。
 「光る棒を剣に見立てて踊るシーンがあるんですが、その剣を1回1回振り下ろすごとに『人を斬る』という強い感情を込めるので、これもかなり過酷でした。でも、それに挑める自分が楽しいんですよね」。
 高校1年生のころからダンスへの情熱は変わらない。
「真剣に踊りをやめようと思ったことは一度もないですね。振付を覚えて終わりではなく、そこに感情を盛り込んだり、ニュアンスの鍛錬をしたり、ダンスに終わりはない。これをやれば良いという成功もない」

 異業者たちからダンスの魅力について教えられたこともあるという。
「ステージのバンドメンバーと飲みに行ったとき、『僕たちは楽器や機材がないと何もできないけれど、ダンサーは身ひとつで表現できるところが素晴らしいね』って。今まではそんなこと考えたことがなかったけど、逆に気づかされました。
 ダンスはやろうと思えばどこでもできるし、何より音楽と身体が一体となったときの気持ち良さは最高です」

“伊東洋子”の誕生秘話

 佐藤洋介の人間的魅力を語るのに、クラスの生徒たちへの愛情の深さがある。
「レッスンに励んでいる姿、踊りと向き合っている姿勢が美しいし、忘れてはいけない初心を生徒さんたちから学ばせてもらっています。リハーサルとか本番とか続くと肉体的・精神的にもつらい部分があったりします。でも自分のクラスのレッスンで、彼らの無心な姿を見ていると、励みになる。無我夢中で踊ってくれるし、すごく嬉しいですよ」

 また、プロの女性ダンサーへの尊敬の念があるという。
「日本のダンス業界で活動している女性たちは、ほぼ無償で踊っています。そこにはただ純粋に『踊りたい』という真の気持ちがあります」。
 そういった女性たちから触発され、「女の人の気持ちを分かりたい」という想いが、“伊東洋子”への誕生につながる。
「ハイヒールで踊るってどれだけ大変なのか分かるためにも、女の人になって舞台に立ちました(笑)」
 その舞台が、2017年のDANCEWORKS主催の『MUSUBI』。つばの広い帽子にロングヘア、タイトなロングスカート、ハイヒールで登場。優美なラインと妖艶さを湛えたダンスに、それが佐藤洋介であることを見抜けた人はそう多くなかっただろう。
「生徒たちから衣裳を借りて、胸にソックスをつめて、網タイツを履いてヒールで踊ったら、土踏まずがエライことになりました(笑)」
 
 それ以外にも、劇団四季時代にポアントを履いたこともある。
「ポアントで爪先で立てたらモノになるはずと思って、訓練のために特注でオーダーしました。そして両手でバーにつかまって、一番ポジションでトウで立つ!をやってみたんですが、…できなかった。そのときしか履いていないですね。今は押し入れに入っています(笑)」
 
 自身のクラスでは、ヒールを履いて踊るレッスンも組み込んでいる。それには歩き方へのこだわりがある。
「ハイヒールを履いてジャズウォークをするんですが、引き上げができていないと、こうやってお尻を左右に振って歩く形になるけど、背中をまっすぐに引き上げて、こういう歩き方の方がスタイルが良くなる」(と実演)。

 様々なダンス・スタジオでインストラクターとしても活動中だが、2019年1月には明大前のテリトリーMスタジオにて<佐藤洋介DANCING STUDIO>を開講。現在15人ほどの生徒を抱える。
「プロダンサーもアマチュアも誰でも受け入れていますが、レッスンにおいでとは勧誘しない。僕はいつも自分で考えて決断してきたので、それぞれの思いを尊重したいし、受けたければ受ければいい。でも来るならめいっぱい踊ってねって(笑)」

 ダンサー・講師以外にも振付のオファーもある。
「挑戦してみたいと思っていました。こういうもの創りたいというイメージがあって、それに合った音楽を選んで、振付に入る。振り付けたい作品はいっぱいあります。基本的に好きなジャンルは、昔ながらのオーソドックスなジャズダンス。バレエの要素を織り込んだ作品を創っていきたい」

 今後の出演は、2019年の8月の名倉ジャズダンス、9月には岸辺バレエスタジオ、11月から2020年の1月13日(月・祝)まで森山開次とダブルキャストでミュージカル『ダンス・オブ・ヴァンパイヤ』に出演と、多彩なジャンルでの舞台が待っている。
「ダンス界のカズ(三浦知良)みたいに、どこまで現役でいけるか。彼のようなレジェンドにはなれませんが(笑)、まだまだ踊ります!」

C)RYO OHWADA

C)RYO OHWADA

==プロフィール==
13歳の頃からマイケル・ジャクソンに触発され踊りに興味を持つ。高校1年からボビー吉野ジャズダンス・スタジオ、吉元和彦、名倉加代子らに師事。1999年、劇団四季入団「ジーザス・クライスト・スーパースター」、「裸の王様」、「ライオンキング」等に出演。ローラン・プティの「ピンク・フロイド・バレエ」、上島雪夫の「盤上の敵」[シアター・ドラマシティ]や海外ツアー「カ メレオンマン」に出演。日本バレエ協会、牧阿佐美バレエ団、シャンブルウェスト、ユニット・キミホ、TVCM、モデル等、様々なダンスシーンで活躍中。ダンスユニット「KAyM」のメンバー。

 

公演情報

<名倉ジャズダンススタジオ>『flexible』
2019年8月28日(水)、29日(木)ティアラこうとう大ホール
https://ameblo.jp/nakurajazz/

<岸辺バレエスタジオ>
2019年9月1日(日)メルパルクホール
http://kishibeballet.com/performance.html

ミュージカル『ダンス・オブ・ヴァンパイア』
2019年11月5日(火)~27日(水)帝国劇場
2019年12月15日(日)~21日(土)御園座
2020年1月1日(水・祝)~7日(火)博多座
2020年1月13日(月・祝)~20日(月)梅田芸術劇場 メインホール
https://www.tohostage.com/vampire/

<名倉ジャズダンススタジオ>『spark×spark』
2019年12月6日(金)~8日(日)草月ホール
https://ameblo.jp/nakurajazz/