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INTERVIEW

八幡顕光Yahata Akimitsu

ロサンゼルス・バレエ団ゲストプリンシパル

「僕一人で今の自分があると思っていない」

新国立劇場バレエ団研修所を経て、2005年に新国立劇場バレエ団へ入団。入団直後の一作目で当時のデヴィッド・ビントレー芸術監督から『カルミナ・ブラーナ』の重要な役(神学生2)に抜擢され、新作『アラジン』で主役を演じ、高い評価を得る。2017年にフリーに転身後は、ロサンゼルス・バレエ団のゲストプリンシパルとしても活躍中のバレエダンサー・八幡顕光。舞台裏の秘話やこれまでのダンサーライフについて、本音でじっくり語ってくれた。

 ロサンゼルス・バレエ団の公演出演前後は、一か月以上の長期滞在になることも多いというが、海外のライフスタイルはどんな感じなのだろう。

純国産バレエダンサーとして

 「ミニキッチンがあるので、なるべく自炊しています。夜はサンドイッチとかで軽く済ませることが多いですが、朝ごはんはしっかり摂ります。行きつけのラーメン屋があって、滞在中は週に1、2回は通っていますね。日本での食生活でも、リハ―サルが終わるのは夜の9時、10時に終わって帰宅が11時頃でそれから夕食。炭水化物は疲れをとるのを妨げると言われているので、なるべく夜は控えておかず中心の食事を摂っています」
 
 本番前の過ごし方はダンサーによっても個性が出るが、タイプ的にいうと?
「早く舞台に上がると緊張するので、ギリギリまで楽屋にいます。みんながメイクしている時はまだリラックスタイムで、開演の45分前ぐらいから準備をはじめます。だいたい舞台監督が楽屋に呼びに来るケースが多いかな(笑)」
 
 2017年にフリーダンサーになってから、一番変化を感じるのはどんな点だろうか。
「バレエ団に所属しているときは、毎朝クラスが用意されていますが、クラスを自分で選択して受けに行っている点が、一番変わった点かもしれないですね。今日は止めようと思えばいくらでもできますが、自分で選んで色々なクラスに通うことにより、生活スタイルにメリハリができました。ときどきバレエ団のクラスにお邪魔したりします」
 
 オープンクラス・レッスンを受けに行くというが、一緒のクラスを受けることになった受講者は、元新国立劇場バレエ団プリンシパルが目の前でレッスンしていることに驚くだろう。
「やはり自分だけでは限界があるので、僕はクラスを受けに行きます。自分だけですと、やりたい内容だけに偏ってしまったりするんです。何より僕は注意してもらいたいです。
 バレエ団に所属していた当時、プリンシパルに昇格してしばらくしてからは、あまり注意されなくなっていました。特に海外のトップフリーダンサーたちは、自分を保つために専用の講師をつけてレッスンしていますよね」
 
 そもそもダンスにのめり込んだきっかけはというと?
「2つ年下の妹が小学2年生の頃、石井清子バレエ研究所に通うことになり、一人で行かせるのは心配だからお兄ちゃんが付いて行ってあげて、と頼まれたのがきっかけですね。10歳ぐらいだったと思います。その教室に同世代のふたりの男の子がいたこともあって、僕もやる!っということに。そしてあるとき、ミハイル・バリシニコフの存在を知ってから、ますますバレエにのめり込み、留学もしてみたいなと思った記憶がうっすら残っています」
 その同世代の男の子が、牧阿佐美バレヱ団プリンシパルの菊地研と、元東京シティ・バレエ団の鈴木幸二郎というから驚きだ。
 
 幼いころからの憧れのダンサーは、ミハイル・バルシニコフと熊川哲也と語る。
「哲也さんは、日本のバレエ界を牽引したというダンサーで尊敬しています。僕が新国立劇場バレエ団に入って、はじめて哲也さんの出演舞台を観に行ったとき、哲也さんの自伝『メイド・イン・ロンドン』にサインしてもらったんです。
 小学生のころから愛読していた本だったんですが、哲也さんはそのときのことを覚えていてくれて、あるとき突然プレゼントが届いてビックリ。哲也さん特注のオーダーメイド・ジャージをもらったのは、僕が第一号なんですよ(笑)」
 
 しかし結局、留学は選ばなかった。
「14歳後半ぐらいになっていたんですが、その頃ちょっとグレまして(笑)、髪を金髪に染め、学ランの下にカラーシャツ来て、ヤンチャしていました。でもバレエ教室には、月2回ぐらいは通っていたと思います。ヤンチャ仲間に、カバンの中からタイツを引っ張り出されて「何これ~!?」って冷やかされた記憶がありますから(笑)。でも1年ぐらいでその仲間と離れ、再びバレエに戻りました。理由もなく殴り合いになるとか、理不尽な世界に馴染めなかったんだと思います。
 バレエをはじめる前は、ジュニアオリンピックを目指している子供たちのスクールに通っていたことがあります。水泳と体操コースがあって、バク宙やバク転、鉄棒で大車輪を回ったりして楽しんでいましたが、僕はスパルタ過ぎる世界はダメみたい(笑)。その点、バレエ界は違っていたんですよね。
 じつは、バレエと同時期に野球チームに入っていて、内野からピッチャーまで色々なポジションを任されていたんですが、あるとき野球監督から、バレエをバカにするような言葉を投げかけられ、即退部(笑)。
 プロのダンサーになるきっかけは特になかったですね。ただ好きで続けていた感じです。母親は常に応援してくれていて、父親もそんなに好きならと、だんだん認めてくれるようになりました」
 
 中学卒業後は、授業にバレエのクラスがある市立の関東国際高等学校・演劇科に入学する。 
「母親が探してくれたんですが、バレエ以外にも声楽や台詞の授業もあって、今思えばあの3年間があっての今の僕があるので、両親には本当に感謝しています」
 高校卒業後は、新国立劇場バレエ団バレエ研修所に研修員として採用され、そこで2年間学ぶ。しかし、その過程に行く前に、それまでの人生観を変えるほどの出来事があった。

ホンモノの衝撃

「11歳から12歳のころ、スターダンサーズバレエ団の公演で、ピーターライト版の『コッペリア』『くるみ割り人形』の公演に子役で出演させていただいたんですが、そのとき本格的な舞台美術をはじめて目にしました。その舞台装置の中で踊り、『こんなに重厚感があってお洒落で、本物はこういうものなんだ!』『僕が今見ている世界がすべてじゃないんだ!』と、これまでの価値観が一変しました」
 
 そのときの強い衝撃が、プロの世界で踊りたい気持ちを潜在的に育んでいったのだろう。
「その小学生の頃の舞台が第1の人生の岐路なら、第2のターニングポイントと言えるのは、2005年10月29日に初演された『カルミナ・ブラーナ』です。9月に入団して直後にその作品のリハーサルがはじまりました。新人の僕は、アンダースタディで入ったんですが、これからこのバレエ団でやっていくんだ!と、とにかく自分をアピールしようと、主役以外のすべてのコール・ドのパートの振りを覚えました。
 怪我や病気などで欠員が出るのは日常的なことなので、同じ役でも、右からはじめるパ―トと、左からの振りも全部頭に入れました。もちろん見ているだけでは覚えられないので、後ろで自分もいっしょに動きながらですね。振りは覚えるのは早いですが、忘れるのも早い(笑)」
 
 その果敢で積極的な姿勢にチャンスが訪れるのは、想像していたよりはるかに早かった。
「そのリハーサルであるときコール・ドの欠員が出て、『僕、覚えています』と代わりに入りました。それをデビットさんが見ていたらしく、その後で制作部から電話がかかってきました。『主演のセカンド・セミナリアン(神学生2)を踊る予定だったゲストダンサーが怪我で出演できなくなったので、ビントレー監督が、アキミツくんに踊ってほしいとオファーがあったよ』と。でも僕は、プリンシパルが踊る3人の学生役は絶対来ないと思っていたので、そのパートだけは覚えていなかったんですよ!」
 主演パートのリハーサルは明日から開始される。さて、どうするか?
「その連絡があった日に、バレエ団先輩の江本拓さんと泊陽平さんとでスーパー銭湯に行く約束をしていたんです。それで、先輩ふたりに『振りを教えてくださいよ』とお願いし、銭湯の洗い場で40分ぐらい踊っていました(笑)」
 スーパー銭湯の洗い場で前代未聞の全裸・振り写し!周囲の“ギャラリー”の反応はいかに??
「浴槽に入ったり、身体を洗ったりしながら、少しずつ教わったんですが、周りは『何してんの?』とビックリしていた感じだったと思いますが、とにかく明日のリハーサルまでに間に合わせたい一心でした」
 その熱意と技量はビントレー監督にも伝わり、「君ならそれぐらいはやってくると思った」という反応だったらしい。
「監督の期待に応えなきゃという思いでしたが、入団直後から僕は強い覚悟がありました。どういう風に作品に向かって自分をアピールするのか、入団一作品目で僕のバレエ団のあり方が決まると思っていましたから」
 
 その強い決意を生んだのは、ある一本の電話のおかげだった。
「バレエ団入団の通知を電話で受けたんですが、『合格はさせてあげたけど、コール・ド・バレエでは使えない。1年でソリストになれなければ、クビだからね』と。だから僕は必死だった。どういう風にバレエ団で踊って行けるか、その覚悟をもたらしてくれました。
 強い精神力を保てたのは、自信があったから。今はそれほどでもないですが(笑)、20代当時は、自分はこれだけできるという思いがありました。それと、自分が憧れている先輩と同じパートを踊りたいという強い思いでした。
 子供のころの僕は劣等感しかなかった。外部のワークショップや講習会に行くと、バレエがすごく上手で女の子にも人気がある男の子はたくさんいた。石井清子先生からよく言われていたことは、『あなたがこれまで培ってきたものは、誰にも奪えない。たとえ、みんなから劣っていたとしても、やればやるだけ、いつか結果として必ず現れる』と。
その言葉に支えられてきたんだと思います」
 『カルミナ・ブラーナ』のリハーサルの後も、だいた7時か8時ごろまで一人で残ってビデオを観て振りを頭に入れました。誰も知らなかったと思いますけど(笑)。
でもそれは努力してやろうとしたんじゃなくて、僕にとっては自然なことでした。ただ踊ることが好きだったんです」
 
 そして迎えた本番で、無事舞台が終わり、カーテンコールのときに忘れられない瞬間が訪れる。
「舞台袖に控えていたが、舞台上に出てきて僕に握手してくれたんです。僕にとって最高の褒め言葉でした」
 主演3人いる中で、一人だけに握手を求められた瞬間は感動的だっただろう。
「これまでにないぐらい緊張してガチガチだったので、とにかく良かったなと(笑)」
  その熱い握手シーンはそれだけにとどまらず、後に、ビントレー監督が2018年のブノア賞の振付家としてノミネートされた際、直接監督から神学生2のソロを踊る役を指名されボリショイ劇場に招待されている。
 
 また、八幡顕光を語る上で『アラジン』は欠かせない。
2005年秋に発表された傑作『カルミナ・ブラーナ』に続く、新国立劇場バレエ団の代表作品の一つとなっている。2009年の初演時に見事主役に抜擢。その後の再演もアラジンを踊り続け、ビントレー監督から厚い信頼を得た。
 「創作段階から加わり、はじめて全幕の主役を与えてもらったので、もちろん忘れられない作品です。配役発表直後の感想は、『やっと来た』ですね。主役を踊らせてもらえると思っていなかったけれど、踊れると思っていた。夢ではあったけど、できると思っていたという感覚でした。
 『アラジン』で一番心に残っているのは、ジーンを最後に開放する場面です。再演のときのジーン役が吉本泰久さんだったんですが、本当は別れるのはすごく寂しい、でも彼にとっては良いことなんだという葛藤の中で、あのシーンは胸に迫るものがありました。プライベートでも仲良くしていたので、お互い感情が高まって涙ぐんでいました」

みんなに生かされて

 これまでダンサーを辞めたいと思ったことはないと語るが、壁にぶつかったりしたときなどはどうするのだろう。
「落ち込んでいる気分に浸っている場合じゃない(笑)。翌日レッスンで解決を試みるとか、とにかく行動。もちろん気分を整理したいときなどあるので、部屋の照明を落として、じっくり自分と向き合う時間を作ったりしています。

 そして次なる舞台は、日本バレエ協会の<2019年度Balletクレアシオン>と、土井由希子主宰の<Melos Dance Experience 第2回公演>。
「クレアシオンでは、遠藤康行さん振付の『月下』を踊ります。共演は金田あゆ子さんです。あゆ子さんは、ミステリアスでこんな動きができるんだ、こんな表情をするんだといつも新しい発見がありますので、今回も楽しみです。
 『月下』は、リヒャルト・デーメルの詩をベースに、シェーンベルクの楽曲に乗せた男女の恋愛物語です。でも相手の女性は、僕の子供じゃない子を身ごもっている。彼女への愛と葛藤をどう表現してゆくか、というストーリー展開になっています。もし、プライベートで同じことが起こったら? うーん、その人のことを本当に愛していたら受け入れるんじゃないかな」
 
 その翌日の11月10日(日)には、笹原進一による振付の『On the Ground』Bプロに出演が決定。笹原のコメントもお届けしたい。
「アメリカの原風景を描いたアンドリュー ワイエスの絵から着想を得た振付作品です。作品のために特別にレコーディングされた音源5曲の構成で、フルートとリュートによるF.クープラン、J.S.バッハなどのバロック音楽とアイルランド伝承歌を使用いたします」
 
   すでにリハーサルははじまっているというが、どんな感じなのだろう?
「男性ダンサーは僕と、谷桃子バレエ団プリンシパルの三木雄馬さん。女性キャストは土井さんで3人の構成です。音楽そのものを表現している抽象的な作品になっています。
 雄馬さんとは舞台で一緒だったことはありますが、同じ作品の中で共演するのは初めてなので、とても新鮮ですね。雄馬さんはやはりさすがです。振付家を意図することをキャッチするのが、すごく早いです。一緒に踊っていてとてもやりやすいですね」
 
 これからの夢もシェアしていただこう。
「ダンサーのみんなを引っ張っていけるような、クリエーション中に色々アドバイスできるようにしたい。みんなの引き出しを増やせるような存在でありたいし、コーチングの役割でも、どうやったらより良い方向にみんなを導いていけるだろうとか、新しく生み出す要素を創り出してゆきたい。
 ただ、僕一人で今の自分があると思っていない。みんなに生かされている。そのことに本当に感謝しています」
 

==プロフィール==

10歳より石井清子バレエ研究所にて、石井清子、安達悦子に師事。2003年新国立劇場バレエ研修所に入所。牧阿佐美、豊川美恵子に師事。2005年 新国立劇場バレエ団入団。直後の『カルミナ・ブラーナ』で、振付家でバーミンガム・ロイヤルバレエの芸術監督(元新国立劇場バレエ団芸術監督)に抜擢され、神学生のソロを踊りデビュー。
2006年 ソリストに昇格。2008年 ビントレー『アラジン』の世界初演で主役に選ばれ、アラジンを振り付けられる。2011年 ファースト・ソリスト2012年 プリンシパルに昇格。2017年 登録ダンサーに移行。ロサンゼルス・バレエ団、ユニバーサル・バレエなどに多数の舞台にゲスト出演。

公演情報

<2019年度Balletクレアシオン>
2019年11月9日(土)メルパルクホール
http://www.j-b-a.or.jp/stages/2019%E5%B9%B4%E5%BA%A6ballet%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%B3/
 
Melos Dance Experience 第2回公演  STAGE 3:
~コンテンポラリー&ネオクラシック~
Aプログラム / 2019年11月 8日(金) 9日(土)
Bプログラム / 2019年11月10日(日)
川崎市アートセンターアルテリオ小劇場
※八幡は10日に出演
https://www.melosdance.com/schedule/