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INTERVIEW

キム・セジョンKim Se-Jong

東京シティ・バレエ団プリンシパル

「見えない道を進む方が楽しい」

東京シティ・バレエ団のトップダンサーとして邁進中のキム・セジョン。受賞歴をざっと見るだけでも、2002年韓国バレエ協会男子クラシックバレエ部門大賞受賞、2006年韓国舞踊協会新人舞踊コンクールバレエ部門男子第1位、2007年韓国舞踊協会新人舞踊コンクールバレエ部門男子特賞、2009年韓国バレエ協会新人賞およびバレエ部門銀賞を受賞と輝かしい経歴を持つ。恵まれたスタイルと甘いマスク、柔らかい物腰はまさに王子のキャラクター。日本を拠点に活動することになったきっかけや、これまでのバレエライフについて率直な思いを語ってくれた。

 まず驚かされるのが、「バレエを本格的にはじめたのは、大学生の19歳から」という事実だった。

導かれるままに

「最初のきっかけは、高校の先生に勧められたからなのですが、通っていた韓国の高校にはバレエの授業がありました。さぼる人も多い中は僕の出席率は良い方だったと思います。そのうちバレエ・サークルに勧誘されて断れなかったこともあって(笑)、高校3年のころからは放課後毎日参加していました。でもプロのダンサーへの憧れとか、なりたいとかいう思いはなく、まさか自分が目指すことになるなんてまったく考えていませんでした。
 バレエをはじめる前の中学生のときは、フェンシングを習っていました。元々身体を動かすことが好きで、小学生のころは友達と遅くまで外で遊んでいた子供でしたね」
高校卒業後は、韓国カンウォン国立大学バレエ学部舞踊学科に進学。
「高校の先生と国立大学の先生が知り合いだったこともあって、その大学の話もよく聞いていましたし、そこに進学するのは自然な流れでした。入学してからは、芸術分野への興味が強くなり、将来に対する考えがだんだんできあがってきました。僕もダンサーになれればいいな。なんとなく、そうなれるんじゃないかなという思いが沸いてきたのを覚えています。舞台出演も多く、そこでたくさんの経験をさせてもらいました」
 
 それにしても、19歳からバレエダンサーを目指す人はそう多くない。
「もっと早くからはじめるのが普通ですよね(笑)。僕は遅いスタートだったので、その分かなり努力して練習しました。苦労したのは、自分のクセですね。それまで自由に自分なりに踊るクセが付いてしまっていたので、バレエの正しいポジションや動きに近づくように一つひとつ直していったのですが、強いクセが中々抜けずに、やっぱりバレエダンサーになれないかも、と途中で挫折しそうな時期もありました」

解放できる場所

 しかし、2005年には、韓国の代表的なバレエカンパニーである、ユニバーサル・バレエ団にドゥミソリストとして入団を果たす。
「じつは、ユニバーサル・バレエ団に入団する前に、大学の先生から、『国立バレエ団に入って踊りなさい』と言われたんですけど、想像できる約束された世界に進むことは、僕にとって魅力的ではなかった。その先生とは言い合いになり、ふたりともかなり白熱しました(笑)。そこに入団すれば将来を約束された、安定的な生活ができることは分かっていましたが、僕は見えない道を進む方が楽しいと感じたんです」
 ユニバーサル・バレエ団では順調なスタートを切っていたが、約一年後に、右足脛を疲労骨折する怪我に見舞われてしまう。
「その当時25歳ぐらいですね。階段を上るのも激痛ですごく大変な思いをしました。ちょうどそのころ、バレエコンクールの出場と、軍隊の入隊時期がかぶっていたんです。
 それで少し悩みましたが、コンクールは痛みを抱えながら出場して、その直後に4週間の軍隊への入隊があり、結局怪我したまま過ごすことになりました。でも、それが、すごく良い環境だったんです(笑)。
 早く起きて早く寝るなど規則正しい生活習慣と健康的な食生活とで、想像していたような厳しいトレーニングを課せられることもなかった。毎日の掃除と登山活動や訓練メニューをこなしているうちに上半身がムキムキになって(笑)、脛の怪我も自然に治りました」
 4週間の入隊義務を終えて、再びユニバーサル・バレエ団に戻る。
「5年間在籍させてもらったんですが、以前から抱いていた海外に行きたいという思いがありました。ただ、韓国の両親や親戚の近くで活動したいという思いがあったので、日本を選びました。
 以前、演出家の先生から『早めに海外に出た方が良い』と言われたことがあり、その理由はそのとき聞かなかったんですが、その言葉がずっと頭のどこかにあったんだと思います。
 そして、約4年後の29歳、海外を目指す決意をし、東京シティ・バレエ団の入団試験を受ける。
 「一週間ぐらいかけてのオーディションでした。その当時は全然日本語は勉強していなくて、まったく話せなかった(笑)。レッスンをしながら、人と接していく中でだんだん覚えました。日本で踊ることになってから、10年近く経ちますが、ずっと充実した毎日を送らせてもらっています。楽しいという気持ちが一番ですよね。
 上手く言えませんが、僕は現実の自分があまり好きじゃなかった。人とのコミュニケーションがあまり得意でない方なので、舞台の上に立つ自分の方が好きです。シャイなタイプではないと思うんですけど、舞台では自分自身をもっと解放できるのかもしれない」

忙しすぎる好奇心

 これまで出演した中で、もっとも印象に残っている舞台を聞いてみると、
「今年7月に踊った『ロミオとジュリエット』です。ロミオは、何回か演じていますが、以前より落ち着いて、力みすぎることなく演じることができたと思っています。女性のサポートも上手になりました(笑)。
 この舞台に限らず、終わってほしくない、このまま幕が降りてほしくないという思いは何度も経験しています。ダンサーで良かったと思う瞬間の一つです。舞台が終わってもすぐ切り替えができないタイプなのですが、役には割とすんなり入り込める方だと思います。
 ユニバーサル・バレエで踊った『オネーギン』も忘れられないです。オネーギンの友人のレンスキー役で出演したのですが、特にドラマ性の高い作品に引き込まれます。
 僕はリハーサルのときに、一幕から全力で踊ってしまうので、先生から『もっと落ち着いて、ゆっくり』って度々注意されるんです(笑)。先生達は、三幕まで持つか心配してくれているのですが、僕は結構体力がある方かもしれない。たぶんエネルギーがあり余っているのかな(笑)」
 
 「もしダンサーでなかったら、何をしていたのか、…………考えたことないですね。ダンサーで良かったことは、プロになってから今まで、舞台に立っているときもオフのときも『ダンサーで良かった』と感じながら過ごせることです。
 僕は幸運なことに、バレエのことで苦悩する時期を過ごしたことはないんですが、もっとこうしたいとか、著名な振付家の作品も踊りたいなど、踊りに対しての欲求は常にあります。いつも自分には、こういうスキルが足りないとか、あれも足りないとか、もっとレッスンしたいという思いで溢れている感じです。
 オフのときは、家にはまずいないです(笑)。カフェでリラックスしながら、次の舞台のことやスケジュールを整理したりしてゆったり過ごすのが好きですね。楽しいことをずっと考えています(笑)」
 
 今後、挑戦したいことは?
「ネオクラシックやコンテンポラリーダンスも、もっと踊ってみたい。ずっと舞台に立っていたい気持ちはありますが、どこまでできるか挑戦ですね。創作する場所や、芸術分野にずっと関わっていきたいですね。日本と韓国のつなぎになれるような文化交流を担うようなこともしたいです。
 僕は欲ばりなので(笑)、振付もしてみたいですし、指導にも興味があります。全部やってみたい。将来的には、自分が主催するバレエ公演なども手がけてみたいですね。やりたいことで頭の中が忙しい!(笑)。
 それを考えるだけでもワクワクするし、そういう思いに一歩一歩近づいていく過程も楽しい。先を決めすぎるのは苦手ですね。決まっている道にいくのはあまり好きじゃないんです。
東京シティ・バレエ団は公演回数も多いですし、ゲストダンサーとしての出演の機会も色々いただいているので毎日が充実しています。
 東京シティ・バレエ団は、『くるみ割り人形』と『眠れる森の美女』のあとも、楽しい舞台が続きます。演目の発表はこれからですが、2020年以降も期待していてください」
 

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公演情報

東京シティ・バレエ団 第34回『くるみ割り人形』ティアラこうとう大ホール
2019年12月21日(土)、22日(日)ティアラこうとう大ホール
https://www.tokyocityballet.org/schedule/schedule_000534.html
 
東京シティ・バレエ団『眠れる森の美女』
2020年2月15日(土)、16日(日)ティアラこうとう大ホール
https://www.tokyocityballet.org/schedule/schedule_000532.html