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INTERVIEW

三木雄馬Miki Yuma

谷桃子バレエ団プリンシパル

「それが夢である以上、追いかけなければいけない」

16歳でロシア国立ワガノワバレエアカデミーに留学後、2008年に谷桃子バレエ団に入団。2009年にプリンシパルに昇格。入団9年目を迎えた2016年初頭に特に嬉しい出来事があった。
「このバレエ団に入るきっかけになった舞台で共演したダンサーが舘形比呂一さんでした。19歳のとき舘形さんに出会って、彼のような表現者の形があるんだなと。それまでは、技の高さで驚かせるのがバレエダンサーだと思っていたので、彼の息を呑むような表現力には驚きでした。その舘形さんと『眠れる森の美女』で12年ぶりに共演できたことは幸せです」

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 そして2017年1月、同バレエ団では初となるバジル役で新しい年を迎える。その『ドン・キホーテ』に賭ける思いと、ダンサーライフについてじっくり語ってくれた。

中学生でプロを決意させた理由 

 バレエをはじめたのは4歳とのことだが、中学生ですでにバレエダンサーになろうとした決断は早い。何かきっかけはあったのだろうか。「二つあります。10歳のときから母子家庭で兄弟は4人なので、僕が習い事にバレエをするのは家族に申し訳ないという気持ちが強くありました。地元・徳島の先生に続けた方が良いという後押しがあったので継続できました」

 その三木には尊敬してやまない兄がいる。
「兄は、小学生のピアノ・コンクールで男の子ではじめてブロンズメダルを獲得し、周りから神童と呼ばれて期待されていました。夏休みには1日8,9時間ぐらい部屋にこもってピアノを弾いていました。『お兄ちゃんのピアノに合わせて弟が踊れればいいな』と母は思っていたようです。実際、10歳のとき兄の演奏で『ドン・キホーテ』のバジルのバリエーションを踊った思い出があります」

 しかし兄が中学生になったとき、状況は一変する。
「兄が長男としての責任を考えて『ピアノはお金にならないからやめる』と突然言い出したんです。それから兄は勉強一色に切り替えて大学院卒業まで奨学金制度でやりきった。そんな兄をみてバレエを続けるならプロにならなければいけないと」

 二つ目はあるダンサーとの出会いだった。
「あれほどエネルギッシュで色気のある男性ダンサーははじめて、という人が佐々木大さんだった。大さんを見て、男性も踊っていいんだ。バレエを続けていいんだ、と前向きになれた。僕が”エネルギッシュ”と言われる要素はここから生まれたんだと思います」

 三木を『特に音楽性に優れいてる』と評したのは、同バレエ団振付家の伊藤範子だが、その音楽性についても、「兄の影響です。兄の方が優れた芸術家肌です」と語る。今では兄は趣味でピアノを弾くだけということだが、近い将来、兄と弟のデュオ公演もたぶんきっと夢ではない。

天才肌のダンサーとの出会い

 兄の存在や、魅力的なダンサーとの出会いを経て、比較的世代が近くもうひとり多大な影響を与えたダンサーに辻本知彦がいる。
 「KAyM(カイム)という6人のダンスグループを組んで活動していた時期があったのですが、辻本さんの存在が大きかった、尊敬しました。こんな天才肌のダンサーがいるんだ、と。生き方のすべてに意味を考えている人で、カップを持つ指先ひとつについても指摘してくる。『君は人に影響を与えるべき人なんだから、普段の振る舞いについても気をつけなくちゃいけない』と。
 僕が22歳頃で、辻本さんは確か30歳ぐらいだったと思います。僕はそれまでは、プロはオン・オフを区別すべきだと思っていたのですが、辻本さん曰く『オフのときにいかに自分を高めてゆくべきか、それがオンにつながる』と諭されました」

 ダンサーとしてのターニングポイントといえる出来事は?
「20歳のときの怪我ですね。『ジゼル』でペザント役で出演していた本番真っ最中に膝の前十字靭帯が断裂しました。でもそのキャラクターがいないと物語として成立しないので、一幕の最後までは団員の肩にしがみついて舞台に出ていました。一幕が終わってすぐドイツのゲストダンサーが僕を抱えて救急車に運んでくれました」
 ペザント役が一幕のみの出演だったことに救われたかもしれない。

 「そのとき思ったのは、大きな怪我をするには意味があるし、ダンサーとして何か欠けている部分あったと感じました。そう考えないと立ち直らないですし。それ以降、怪我でもし再起不能になったとき、どういう道があるのかを考えるようになりました」

 しかしその怪我がきっかけとなり、スケールの大きな夢が誕生した。

怪我が与えてくれた夢

 以前のインタビューで、”一万人の観客動員のバレエ”との話もあったが、現在抱いている野望はあるのだろうか?
「僕は野心家だと思いますよ(笑)。色々な方と会い続けるのはすごく必要ですし、生きているうちにできるかなと思う夢も多々ある。それが夢である以上、追いかけなければいけない。追いかけるのであれば、具体策を得なければいけない。そうでなければただの妄想ですから」

 いったいその夢とは??
「機会があればやってみたいことが、全国規模での”町おこし”です。最初に思った理由は、千葉のシェイクスピア劇場です。街並みが全部石造りの道になっていてコンサートホールに続いている。その敷地内を歩くだけでシェイクスピアの世界観が広がっているんです。
  ここを移動式のバレエ公演ができないのかと考え付きました。服飾デザイナーを夢見ている方にボランティアとして参加してもらったり、地域の方々と協力する”町おこし”です」

 石畳の野外劇場で踊るのはダンサーにとって脚の心配は?
「西洋では、現在ストリートでバレエを踊っています。ストリート用の振付ができるコレオグラファーはたくさんいます。限られた空間でバレエを踊れる作品が最近ではどんどん増えています。それを日本の規模でできれば。ちょっといいストーリーも混ぜてね(笑)」
 
 ではダンサーとしての今後踊りたい演目は?
「2013年にガニオ役で主演した『道化師~パリアッチ』ですね。1時間の小作品だったのですが、もっと大きな作品になる要素が詰まっているので拡大してもいいんじゃないかなと。あと大好きな演目は2010年の、『レ・ミゼラブル』。ジャベールの役柄をまたやりたいですね。シルクハットさばきは名倉先生のおかげです」
 
 そして2017年1月には『ドン・キホーテ』が待っている。”自分ならではの部分を出したい”と語っていたが、自身のバジルとは?
「どの人にも”パッション”って言われます。あと、ちょっと女性っぽいんですかね、首の向き方とかがセクシーとも(笑)。僕は中堅からベテランの域に入ってきていますが、若い後輩たちと喋るのが好きです。バカなことを言って『それ違う!』と突っ込まれたり(笑)。
 谷桃子バレエ団が持っているアットホームさ、あたたかさがより昇華されてゆく形で舞台が進んでいくようにしたい。ポジティブな空気で団員たちみんなが前を向いて明るい気持ちでリハーサルができれば、そのみんなからのエネルギーをもらうことで、今まで以上のバジルができると思っています。すでに身体作りもはじめていますよ!」

 

C) Takao Sakai

C) Takao Sakai

==プロフィール==
 島田輝記バレエ研究所に入所。2000年特別推薦にてロシア国立ワガノワ・バレエ・アカデミーに入学。01年ロシア国立アカデミック・バレエ・シアターに最年少でファーストソリストとして入団。08年谷桃子バレエ団入団。『ラ・バヤデール』『白鳥の湖』『ジぜル』『リゼット』などで主役を務める10年のモスクワ エストラード劇場公演、日本バレエ協会ヤング・バレエ・フェスティバルなどでゲストダンサーとして出演。02年全日本バレエコンクール第1位文部科学大臣奨励賞受賞。03年文部省選奨励賞受賞。

公演情報

谷桃子バレエ団『ドン・キホーテ』
2017年1/14 (土)、15 (日) 東京文化会館 大ホール
http://www.tanimomoko-ballet.or.jp/

※三木雄馬の出演は15(日)